公認心理師制度の気になるところ

気になるところを書いておきます。

参入障壁が目的みたいになっている

学歴による参入障壁のための制度みたいになってしまっています。

「院卒でないと受からないくらい難しい試験」ではなくて「院卒でないと受験させない試験」となっています。

「私たちは大学院で頑張って学んだのだから、そうではない人たちに受験資格は与えないでほしい」という声がありました。公認心理師という国家資格は、大学院で学んだ人の苦労に報いるご褒美としてあるのでしょうか。

大学院で学んだような専門性の高い人たちが、そうでない人たちに仕事を奪われないように制度で守ってもらおうとする、大学院卒が活躍するために低学歴者を業界から排除する必要があるということは、ちょっと恥ずかしいです。

むしろ学歴だけで一生涯が決まるような社会を壊してくれるような人たちが心理師になってほしいです。

もしも情報工学の博士や修士が「セキュリティリスクがあるから、情報工学修士でない人にはアプリ開発させるな」とか「技術者の地位向上のためにウェブサイト開発を修士号の独占業務にしよう」とか「資格制度によって自称エンジニアを撲滅しよう」とか言ったら、かなり恥ずかしいです。しかし、臨床心理業界はそれをやっています。高学歴者が低学歴者の参入をこれほど恐れる業界は珍しいように思います。

ただその恐れは必要なくなると期待します。心理に関する深刻な社会課題はたくさんあるので、それらを定義して解決の社会実装をする、そしてむしろ心理支援の裾野を広げるという、優秀な高学歴者にはもっと大事な役割があるでしょう。

サービスの質やリスクの話だというのも疑わしいように思います。

「交通事故がおきたり誘拐事件に悪用されるから自動車運転は運転学の修士号をもつものの独占業務にしよう」という考えも可能ではありますが。

もともとは対人支援業界で医師のみがずば抜けて強い勢力をもっていることから生物-心理-社会モデルのバランスが悪いということで、心理士を高学歴にしようという意図で臨床心理士の国家資格化が検討されていた経緯があるようです。医師の優越(非対等性)を問題視していたはずが、自分たちも医師みたいに優越したい(無資格者に対する非対等性を強調)というようになってしまいました。人間ですね。

しかし時代は変わっています。確立された手法による心理支援業務の多くはAIやアプリで行われるでしょうし、福祉の現場などに多様なバックグラウンドの人たちによる多様な形の心理支援が必要になっています。裾野を広げて心理学者が本当の専門家になるチャンスだと思います。

必要なのは専門家ではなく専門性

大学院卒の心理士から「(心理職の中には)大学すらいっていない人もいる」という発言がありました。

志をもって6年間かけて学んだことは貴重なことと思います。ですが、しかし、トラウマや障害の当事者(またはその家族)として10年、20年以上も心理実践を学んでいる人たちはたくさんいます。単位、学位、資格という外的動機づけがなくても、内的動機づけのみで学ぶ人たちの気持ちを想像できるでしょうか。かつて出会った臨床心理士さんたちはそれを想像できる人たちでした。

「大学に行ったことがない人がカウンセリングできない」

しかし、それを言うなら、社会人経験がない人、トラウマを克服したことがない人、夜の街で人をかばったことのない人のほうが、「カウンセリングできない」ように私はクライアント側の体験から思います。

私もたくさんのカウンセリングや心理療法を受けてきましたが、最も助けになった心理カウンセラーは高卒の心理カウンセラーでした。

大学にしても在野にしても、正解を教えてもらう学び方と、そうでない学び方のバランスがよいのかなと思います。

子どもあずかる某NPO代表は「有資格者を何人か雇ったけど全く役に立たなかった」と言っていました。某当事者家族の会の代表は「心理士さんを呼んで講演や講義をしてもらったけど、正しいことを言うだけで私たちの助けにはならなかった」と言っていました。これが当事者側から見た現実でした。

しかし、それでも私たちは院卒の心理士には大きな信頼を寄せていました。臨床心理学を俯瞰して、私たちのような点と点を結んでくれる人たち、分からないことがあれば道しるべとなってくれる相談相手でした。かつての臨床心理士(院卒)たちは、実際にそのような存在でした。

宗教の世界にも同じようなことが起きているのかもしれません。次の引用に続くページは興味深いです。

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多様性 vs 均一化

心理支援には多様な人材が必要だと思います。

たとえば、障害児の子育てを経験した人だからできるカウンセリングもあります。

一方で、大学で学んだから出来ることもあるでしょう。その一つとして、上の例のような中途ルートのカウンセリングを可能にする技術整備やバックアップも含まれます。

夜の店で働いてきた人には瞬時に客の性質を見抜く力があったりします。

あるセールスマンは、心理師よりも動機づけ面接が上手いです。

ゲーム開発者には応用行動分析(オペラント条件づけ)の天才がいます。パチンコ開発者やホステスには依存メカニズムを熟知している人がいます。

システム運用事故において「人を責めずに守る」ことの重要性と難しさを運用エンジニアは知っていますが、それは精神疾患の家族への心理教育と似ています。

品質管理で「犯人捜し」を控えるスキルは、解決志向アプローチの肌感覚です。

「臨床心理士でないと守秘義務を守れない」と主張する専門家がいましたが、そうでしょうか。人事部や総務部の人たちも秘密性のある情報を扱います。多くの一般企業のサラリーマンも個人情報保護を必須研修で学んでいます。

それらは別分野だから転用は効かないと心理師が信じるのも奇妙です。トラウマ支援や療育で重視されるストレングスモデルは能力の転用が可能であることを前提としており、それを実感として知っている人しか支援ができないからです。AI分野では転移学習の効果(他分野での学習経験がとても役立つということ)が実証されてきています。心理の専門家集団がみんなでそこを見逃していてよいのでしょうか。

多様なバックグラウンド(AI用語では事前学習)の人たちの力や経験をどれくらい心理支援に活かせるか、心理支援を出来る人たちをどれだけ増やせるか、それは学位を持つ心理専門家の役割だと思います。※複数学派の並存や他分野からの流入をアンサンブル学習としてデザインできてもよいでしょう。

全員でなくてもよいですが、社会人経験(その他の様々な経験)をもった心理専門家がいることが必要だと思います。

司法試験は法学部卒では社会人ルートからの受験の方が多くなってきたそうです。そして、社会人ルートの方が司法試験の成績は良いらしいです。

オープンにしないから収入が低い

心理師/心理士の地位向上のために、参入障壁を作る(独占業務にする)べきだという主張もあります。

はたして、他分野出身者や低学歴者を締め出すことで心理師の地位は本当に上がるのでしょうか?

たとえばシステム工学の世界では、非高学歴エンジニアでも活躍できるような環境を整えるのが、高学歴(もしくは突き抜けた)専門家の役割です。そしてシステム開発に携わる人が増えるほど、高学歴専門家の価値も上がります。

心理支援業界もオープンにした方が質が上がり、心理職の地位も上がるでしょう。オープンにして裾野を広げないから心理職の(大学教授以外)の収入が低いのだと思います。

「裾野が広がると自分たちの価値が下がる専門家」ってほんとに高度なのでしょうか。

裾野を広げようとしている業界もあります。

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特定の学科を専攻した資格者にしか講習会の参加も許さないようにし始めた心理支援業界とは対照的です。

また、「院卒じゃないとカウンセリングできない」という意見もあるようですが、もしそれが本当なら臨床心理学が科学技術として失敗しているということでしょう。

「昔はカウンセリングを習得するのに10年かかったけど、いまでは3ヶ月で習得できるカウンセリングがたくさんあるよね」となっていなければ、科学技術ではないでしょう。

私は認知再構成法(心理療法の一つ)もプログラミングも教えたことがありますが、後者の方が学ぶのは難しいです。でも高校生でも出来る人はいます。

心理検査とか認知行動療法のような完成度のある技術は、普通車の運転より簡単に学べる必要があります。そのような技術が大学で6年間学んだ人しか使えないように既成事実化される事態は社会的危機だと思います。

多様性の力を引出して他分野出身や低学歴のカウンセラーのプロ活動を支えることができないような院卒に臨床心理の修士や博士の学位を与えないでほしいように思います。他分野出身や低学歴者に仕事をとられることを怖れる人ではなく、心理社会的問題と解決活動を定義(社会実装)して心理職の活躍の場を増やせる人たちに学位を与えてほしいと思います。1

もはや、地位向上とか待遇改善の問題ではなく、オープン化の問題だと思います。

高学歴/有資格者が低学歴/無資格者をこれほど怖れる業界は珍しいでしょう。

なによりも悲しいのは、競争して他を蹴落とす側面が活性化したことです。

いえ、もともと足の引っ張り合いはしていたのですが、それが公的なものになったということです。

IT技術者はオープンが大好きです。

IT技術者の地位が時代と共に上がったことと比べると、心理職の社会的地位とか給与が低いままの根本原因はこの足の引っ張り合い(すなわち自信のなさ)にあると思います。[/sc]

鎖国よりもサイエンスの仲間入りを

そもそも「均一化すると質が上がる」というのは現代科学に反します。遺伝子も単一では意味を持たないことが分かってきていますし、人工知能もいかに無駄な回路を用意しておくかが要となっています。進化論の淘汰も爆発的な多様性があってこそです。

瓦礫の山を登るロボットはカリキュラムのような計画された行動では登れませんす。手をかけた場所が崩れたら直ぐさまとっさに別の手を出したり、ときには諦めてひとまず安全に転がり落ちたりしながら、結果的に登ってゆきます。

心理療法のプログラム開発において、心理学の研究が進むたびに「〇〇療法は旧い」などといって足をひっぱりあっているのは、アーキテクチャという発想がないからです。1今後は心理療法の多くがAIアプリによって担われるであろうことを考えても、アーキテクチャは業界設計でもありますから、システム開発の概念に強い人は必要です。

脳の大統一理論では自由エネルギーの概念をつかって行動・認知・感情を説明するようになってきています。熱力学と情報理論の数学を前提としています。公認心理師の中にもエントロピーやカオス理論の数式を扱える仲間がいないと、脳科学とのブリッジが難しくなり、業界ごと科学の蚊帳の外になる可能性があるように思います。

分子化学を知っていれば、多様な人材(数十種類の原子)の組み合わせて高度な多様性(鉱石、流体から生命体まで)が実現する実感があるはずです。心理士は化学の基礎を学んでいないので、そのような科学者としての想像力を補う人材は必要だと思います。そこが足りていれば、均一化で問題が解決するという発想にはならないと思います。科学者なら、均一化して残りを排除するのではなく、どう組み合わせるかと考えるかと思います。(「様々なバックグラウンドの公認心理師がいる」とするか、「公認心理師以外にも様々な心理職がいてOK」とするか、どちらかが必要)存在するものは全て役割を担うという発想です。「臨床心理学は科学である」と主張されますが、やはり自然科学者としての発想はちょっと弱いように思います。1

高学歴の心理職への期待

受験資格を大学ルートに限ってゆくのは危険なことだと思います。ルート(受験資格の取り方)は幅広いほうがよいように思います。

というか、多様性を全体の質の向上につなげることが出来ないような人たちが心理の専門家になってもしかたないと思います。

学問として学んだ大学院ルートは、様々な心理支援があることを知り、なお自分たちが知っていること(もしくは既存の枠組み)が全てではないということも考慮して未来を解放できる人たち(オープンな設計者)であるべきでしょう。(学術的な人ほど学派や唯一の正解に拘るとも言われていますが、逆であってほしい)

社会人ルートの心理職はいわば得意不得意の激しい非定型発達のようなものです。そのような人たちの可能性を信じれない高学歴者は頼りないです。

かつての臨床心理士の方々のように、社会人ルートの心理職者を助けるのが学識者の役割でしょう。

高学歴の心理職が「大学や大学院で心理を学んでいない人のカウンセリングを受けない方がいいよ」なんて言っているのは、ちょっと恥ずかしいです。

大学教授たちは「社会人ルートに絶対負けない心理師を輩出する」と言っているそうですが、「社会人ルートに感謝される院卒心理師」を輩出していただきたいです。

大学・大学院でみっちり勉強する公認心理師カリキュラムからは、多様性を広く見渡して業界を作ってくださる視野の広い先生たちが誕生してくることを期待します。

参考リンク

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