「治療」と「克服支援(解放)」の視点の違い

「治療法」は誰でも学べるけど、「克服法」は当事者しか学べません。

たとえば、「子供を叩いてしまうんです。子供がトラウマとか愛着障害とかになると思います。子供を助けてください・・・」というママさんがいます。

一般世間は「子供を助けなきゃ」となるでしょう。

ある専門家は「ママさん、あなたが救われる必要がありますよ」と言うでしょう。

それは正しい・・・・、なんですが・・・・それは「治療」の視点だと思います。

一方、「克服支援(解放)」の視点では、「子供を助けてください」と言えるようになるまでに、、どんだけ乗り越えてきたか、諦めずにきたか、自分を失わずにきたか、って思うんですね。

つまり、何が足りないかではなくて、何がその人を克服へ導いているのか。

専門家や治療者は問題(足りないことや、やめたほうがいいこと)が解るでしょう。でも、深い悩みの場合は、それが解ったところで進まないことも多いです。

治療者が特定した問題を解決しようとするのは、「犬を恐がるのをやめたら、犬恐怖症が治りますよ」と言うのとたいしてかわらないかもしれません。

深い悩みを克服する手懸りは、いままで諦めなかったのはなぜか、どうやってここまできたのか、そこにしかないと思います。「あなたは大丈夫、なぜなら・・・・」のようなものを見つけようとしないかぎり、いくら間違い探しをしても人は幸せにならないように思います。

 
別の例をみてみましょう。

「人を助ける前に自分の自立が必要。自分が自立できてなく人を助けようとすると苦しくなる」と言われることがあります。これは「治療」の視点だと思います。

治療視点は「この人の問題はなんだろうか?」と考えます。「自立できてないのに他者を助けようとしているから上手くいかないのだ」と原因を特定し、それをやめさせようとします。

実は、問題をかかえた人が他人を助けることに生き甲斐を感じている人は、そうなってしまう事情があるのです。他人を助ける生き甲斐を得ることで生き延びていたりします。

つまり、「自立できてないのに他者を助けようとする」のは、その人にとっては最善の選択になっているわけです。現状に見出される心の「問題」の多くは「最善」でもあります。

「苦しくなる」は治療者が苦しくなっているのです。

経済的に困っていても、人に親切にしてもよいでしょう。自分の人生がおぼつかない人が、公益活動から自分の幸せを得ていく例は結構あります。

それらをひとまとめにして否定してしまうのは治療者の都合なのです。

不登校の子に「学校に行かないと将来困るよ」というのは正論かもしれませんが、そんなことは本人もわかっていることかもしれません。困っているのは治療者であり、学校に行ってもらうのは治療者にとっての解決なのです。当事者としては、行かないと困るけど、行けばもっと困るわけです。そこからはオルタナティブな発想(通信制で高卒、進学の道があればいいねとか)が出てこないわけです。

「克服支援(解放)」視点では、どうやったら解決できるかではなく、なにができるかを考えます。

治療者は「まず自分を助けて」それから「他者を助けて」くださいといいます。順番です。

克服ガイドは「他者を助けるのはいいけど、自分も助けて」といいます。並列です。

順番は管理者にやさしく、並列は魂にやさしいように思います。

治療者には問題の苦しみしか見えませんが、当事者には問題の苦しみだけではなく、その苦しみを選ばざるをえないもっと大きな苦しみがあります。そこを置き去りにしないのが克服支援だと思います。

The following two tabs change content below.

関連記事

  1. 痛みを知っているセラピストをお勧めします

  2. 話を聴いてもらっただけでは解決しない苦悩

  3. 「正す」と「赦す」アプローチ

  4. 本当の自分を知るために助けになる人は?

  5. 悩みを聴いてもらう、アドバイスをもらう

  6. 立派な人が、人を癒すわけではない。

  7. 当事者や元当事者の対人支援プロ

  8. 心理セラピストの探す視点 ~ 権威か手法か人か