たとえばね。
「裏切り者のあいつが、2ちゃんねるにオレの悪口を書いている!!」
「悪口を書かれて何が心配ですか?」
「心配なんかしてない! あいつが何を書こうがオレは困らない! あいつの事務所に行って対決してやる!」
傾向として、社長さんとか、管理職とか、とくに男性は、自分が恐がっていることを認めると弱くなると思っていたりします。
実は、弱いから認められないし、認めないから弱いんだけどね。
弱みをみせられない立場だからこそ、弱くなってしまう。
「たしかに、オレは心配してる。評判がおちるんじなないかと。そしたら、ライバルに笑われる」
場合によっては、劣等コンプレックスなどに触れることもあるので、素人と一緒にやらない方がいいかもしれない。
でも、恐がっていることを認めると、たいてい二つのどちらかが起きます。
1、恐くなくなる。
恐さが完了し、2ちゃんねるに書かれることは、恐れるに足りなくなる。
2、恐いことに対処できるようになる。
「そんなこと当然だ! 恐れるに足りない、そんなことはわかってるよ!」と声を荒げているのは、1ではなく、向き合えなかった場合ですよ。プロセスが成功した場合も、不成功の場合も、言葉は「恐れるに足りない」となるので、言葉では区別できません。
「対処してやる。あんなことしても無駄だと思い知らせてやる。ヤクザをやとってやっつけてやる」と言っているのは、2ではなく、向き合えなかった場合ですよ。プロセスが成功した場合も、不成功の場合も、言葉は「対処できる」なので、言葉では区別できません。
そして、素人と一緒にやらないはうがよいと言ったのは、同じメカニズムに巻き込まれるからです。
そして、セラピストになってしまうと、クライアントとともに成功するか、クライアントに嫌われるかということになります。誰からも嫌われないセラピストは、まあ、偽物でしょう。
この文章を読んでむかついたら、本番開始です。
「何が心配ですか?」
「心配なんかねえよ。お前のことを心配してやってるんだ」
グッドラック!
ちなみに、これくらいのことは、日常の心のスキルなので、学ぶことが出来るよ。
これに向き合うことができたら、運命を変えるほどのセラピーに挑戦できるし、セラピストとしても試される本題に入っていけます。
向き合えないと、学びに来ることも出来ないし、セラピーを注文することも出来ない。上述の社長さんなんかは、夜も眠れないと悩んでいながら、セラピストを呼び出しても、カウンセリングルームには入らないし、セラピストに報酬を払うこともしないよ。
だからね、カウンセリングルームに来る人って、それだけで、なかなかすごい人なの。
カウンセリングルームに行く人のことを弱いと思っている人は、自分がカウンセリングルームに行くことも、人から弱いと思われると怖れる。それこそが、弱さなんだけどね。
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