ネガティブに耐性がないのは本当はポジティブではない

ボジティブシンキングな支援スタイルの限界

カウンセリングやセラピーの中には、ネガティブな考えをポジティブな考えに変えてゆこうとするスタイルがあります。

それが効果があるケースもあるのですが、一時的に気分が良くなって後に元に戻るというケースもあります。

問題の根っこが心の浅いところにあるお悩みの場合は、ボジティブに捉え直すことでお悩みが解決します。

また、心の深いところにあるお悩みの場合にも、底を蹴った後には効果があります。

深いところにあるお悩みで、まだ底を蹴っていない場合は、ポジティブシンキングよりも、ネガティブ耐性が必要となります。

ネガティブ耐性とは、ポジティブシンキングしなくても、ポジティブな結果を期待できる力とでもいいましょうか。

ご自身のお悩みが、ボジティブシンキングで解決するのか、しないのか、経験的に推し量り相談相手を選ぶことをお薦めします。

ネガティブ耐性がないのはポジティブではない

ネガティブ耐性のある人に出会う必要があるか考えてみましょう。

相手がもつネガティブな心を嫌って、ポジティブに正そうとする。そんな傾向の人には、相手の言動をネガティブに解釈するという傾向があります。

たとえは、トランスジェンダー女性が「私はホンモノの女ではないですから」と言ったとき、自信のなさとも、自信のあらわれとも解釈できるわけです。

ネガティブ耐性がない支援者は「そんなふうにネガティブなこと言わないで、ポジティブになろうよ」と言います。

誇りをもっているトランスジェンダーにとって「ホンモノの女ではない」こと自体は悲しみではないかもしれません。

また悲しみであったとしても、それは大切な悲しみかもしれません。

「ネガティブなこと言わないで」と人が言う場合、ネガティブを怖れるあまり、ネガティブに解釈して、正そうとしてしまっていることはあります。

それは相手を見下す傾向とも繋がっています。

カウンセリング業界では、クライアントの力をみくびることを「ディスカウント」といいます。

本当にポジティブならネガティブ耐性がある

たとえば、「うちは零細企業です」「私は低学歴だから」「細々とやってます」「身の程を知りました」「わたしなんか…」などと言うと、本当にポジティブな支援者は「かっこいいですね」と捉えます。それは底を蹴る勇気の兆候でもあるからです。

ネガティブ耐性がなかったり、可哀想な人が好きで対人支援業をしているような人は上記のような発言を聞くと「この人は自信がないんだ」と解釈します。自分の心が相手に投影されて見えるわけです。

零細、低学歴、細々、わたしなんか、などの言葉に「うわー、この人は不幸だー」と恐怖を感じてしまうわけです。

しかし、零細、低学歴、細々の苦労を知ってて、それでも人は幸せになると知っている支援者は、苦しみに共感しつつもニコッと笑うわけです。「いい経験の真っ最中だなー」と。

本当のポジティブ性格と、ネガティブ恐怖症は真逆なのだと思います。

ネガティブな言葉に拒絶反応しないのは、ネガティブだからではなくて人が幸せになる力を信頼しているからという場合もあると思います。

ポジティブ心理学はポジティブ面だけに目を向けるべきだという考え、その考え方を推進しようしたわけママではない。そんなことをすれば、ポジティブ心理学が非難した、マイナス面だけに焦点を当ててきた従来の心理学の轍を踏むことになる。

『トラウマ後成長と回復』スティーブン・ジョゼフ

ボジティブな言葉が楽観的で、ネガティブな言葉が悲観的、とは限らないのです。

本当に楽観的な人

本当に楽観的な人というのもいます。

ネガティブ耐性がないゆえにポジティブに拘っている性格と、本当に楽観的な性格とを見分けることはできるか? ちょっとしたヒントはこうです。

ネガティブに耐性がない人は、他者に対してもポジティブになるように強要したくなります。他人のネガティブな考えをポジティブに変えないと気が済まない傾向があります。

本当に楽観的な人は、他者のネガティブな発言や態度に対して強迫的な反応はありません。それすらも楽観的に眺めます。

このようなヒントは、「あの人はそうだ」と他者について決めつけるために使わないようにしてください。ご自身を振り返るためのヒントにしてください。結論ではなくヒントです。

アンチネガティブという病

ネガティブ耐性がないということがその人を苦しめていることもあります。

たとえば、「どうせ上手くいかないぞ」などのネガティブな言葉を浴びて育った人が、「上手くいく」と唱えたり、ネガティブな言葉を拒絶するという生存戦略を身につけていることはあるかもしれません。つまり、ポジティブ大好き(実はアンチネガティブ)によって、深層にある「どうせ上手くいかないぞ」に対抗しているわけです。

ポジティブ心理学の講座に通い続けないと生きていけないみたいな。

そうなると、ネガティブな言葉や意見や考えを撲滅することでしかポジティブになれません。世界の人生のなにかから目を背ける必要があるので、ブラインドという心理的な視覚が生じます。

たとえば、貧困が少ないという統計データを使って、貧困の問題から目をそらしたりします。たとえば、苦しんでいる人に対して、「気持ち次第だ」と「考え方を変えろ」という不寛容な態度をとったり、排除したりします。批判したり、見捨てたりしたくなってしまいます。

そのような人が、深層にある「どうせ上手くいかない」としっかり向き合い、それが自分の考えではないことを自覚するための感情プロセスを体験したり、そのネガティブの本当の意味を知ったり、ゆるしを得たりすることで、ネガティブにポジティブで蓋をする必要がなくなり、生きるのが楽になることがあります。

自然なポジティブが解放されて、ポジティブ主義というサプリメントが必要なくなるわけです。

ダメ人間カンパ~イ

私のスタイルでは、「俺はダメ人間だ〜」と言われれば、「そっか、ダメ人間カンパ~イ」となります。ダメ人間が人生を楽しむのを知っているからです。「そんなふうに自分を否定しないで」とはなりません。

ボジティブシンキングしない私がカウンセリングを受けると、人を見下すカウンセラーからは可哀想な人とみなされて、ポジティブになるよう勧められます。可哀想な人あつかいされて、元気なくなります。

一方で、苦しみの現実と向き合い、幸せを諦めずもがいている人たちからは「強さをもらった」と言われます。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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