「自殺防止」という言葉にちょっぴり冷淡さを感じます

私は「自殺予防」とか「自殺防止」という言葉に違和感を持っています。

たいていはゲートキープのことを指していて、それはそれで必要なことでもあるのですが、そもそも死にたくなる事態をなくさなければと思うのです。

自殺というのは最終結果であって、そこだけインデックス(数値目標)にしている感じ。「自殺者の数を減らす」「自殺をとめる」というのは、なんかぜんぜん踏み込んでいない感じがします。

ある統計によると、自殺既遂者の背景としてダントツに高いのが「返済困難な借金」と「身近な人の 自殺・自殺未遂」だそうです。

「身近な人の 自殺・自殺未遂」というのは、いわば心因性[1]心に原因があるとでもいいますか、対人支援が「自殺を」防ぐことは本質的にあるように思えます。心の問題だからです。

一方で「返済困難な借金」というのは、いわば外因性[2]心の外に原因があるとでもいいますか、自殺防止ではなくて、自殺するほどの苦しみの防止が必要なのではないでしょうか。

「生きていることが、死ぬよりも辛い」ということになっている人に、生きさせることをは、苦しみ続けろというメッセージになります。

生きることが死ぬことより楽にならなければ、あるいはそう期待できなければ、意味がないと思います。

支援者や行政は自殺という結果しか感じ取りませんが、本人は苦しみを感じています。死ぬほど。生きろというのは支援や行政の都合でしかないのではないでしょうか。「当事者にとっては」です。

苦しみ > 死ぬ

となっているわけですから、国の政策などによって取り除くべきは自殺ではなくて苦しみでしょう。

ほんとうに人を救うのであれば、外因に対してインデックス(数値目標)をたてる必要があると思います。

私が自殺しかけている当事者なら「自殺をとめてくれ」ではなくて「苦しみから救ってくれ」と思うでしょう。

「自殺防止」という言葉は、当事者にとって救いのない言葉だなあと思います。

「自殺はぜったいにいけない」という人がいますが、「ぜったい」と言いながら借金を肩代わりはしてくれません。「ぜったい」なのに・・・。

「(自分は)それはしないよ。代案もないよ。でも(あなたは)自殺してはいけない」というのは、とてつもない人間の冷酷さを感じます。

私も相談者に自殺念慮があるときに、それを防止するための技術というのを習ったことがあります。とりあえずそれは必要かもしれません。心因性・内因性の側面についてはそうですね。ですが、外因性の場合は、根本はそこじゃないと思うわけです。

ゲートキーピングでは「つなぐ」という言葉が使われているようで、連携ということとも関係してくると思います。

でも、目的は「自殺防止」ではないと思います。「苦しみ防止」だと思います。

「死ぬな」ではなくて「死ななくても大丈夫」を探しているのだと思います。

※ただし、ゲートキーパーは「死んではいけない」と思っている方が防げる率が高いというデータがあるそうです。私は逆の体験もしていますが。

脚注[+]

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