「ありがとう」は「人権」を奪わない…だといいな

「身体障碍者の人は助けられてもお礼も言わない」というのを何度か聞いたことがあります。

まずは、すべての障碍者はこうだという一般化はナンセンスということは前提として確認しておきたいと思います。そのうえで、そういう人もいる、そういう傾向があるとしたら、というお話をしたいと思います。そして、それもすべての人に当てはまる話ではないです、念のため。

いつものことながら、モヤモヤしたらすみません。

実は私は、そういう障碍者(実は障碍者に限らない)が「ありがとう」と言っている風景をひそかに夢見ています。そうなるといいなと。

まあ、大きなお世話だとは思いますが。

既に「ありがとう」くらい言ってるだろうし。

もし、ここまで読んで、「ありがとうが足りねえぞ」って話のように聞こえるとしたら、たぶん私のカンは当たっているのではないかと思います。

ご注意いただきたいのは、障碍者の人たちが変わればいいなと思っているのではなく、社会が変わればいいなと思っているということです。

これもまた、人間の心理的抵抗を刺激する(人によっては腹が立つ)お話ですので、ご注意ください。

「感謝するな」の深層心理

人生脚本に影響する深層心理の禁止令[1]心の防衛戦略ルール。エリック・バーンの交流分析理論の一部です。、に「感謝するな」というのがあります。

飛行機恐怖症の人の深層心理に「飛行機に乗るな」という禁止令がある、みたいなものだと言えばわかりやすいでしょうか。人に嫌われるのが怖い人は「人の期待を裏切るな」という禁止令を持っている…とかですね。そんな中でも人生を支配する足枷になりやすいものが数十個[2]論者によって数は異なるあり、その一つに挙げられているのが「感謝するな」です。心掛けなどによっては変えることが難しいくらい深層に刻まれているものはコアだと言われたりします。

一般的には、たとえば幼少期に親から「あんたのためだからね」と言われてなにかを押し付けられたとか、感謝の気持ちが沸き起こる前に「感謝しなさい」と強要されたとか、そういったことが原体験となっていたりします。(各個人の実際はそんな単純ではないですので、ステレオタイプしないようご注意ください)

実は心理セラピーでは「ありがとうと言えるようになりたい」という相談はあまりなくて、「助けを求められない」というテーマになっていることが多いです。

「助けてもらったら、借りができちゃう。どうしよう」と正直に深層心理を語ってくれればしめたもの、「ありがとうって言えばいいんですよ」となります。

つまり「ありがとう」は借りをつくる言葉ではなくて、借りを返す言葉なんですね。


しつこいですが、お礼を言えよと言いたいのではありません。本質的には真逆です。

人権の観点で

一方で「障害者は社会に助けられているんだから感謝しろよ」という考えは根強いです。障害者枠で採用されたら副業禁止となることが多いというのも、「雇ってやってるんだから、せめて専業しろよ」みたいな感覚が見え隠れします。障碍者こそ、マルチに生きる選択肢があってよいと思いますが。

また、「僕たちは何かというと『ありがとう』と言わなきゃいけないんだ」という話も当事者から聞いたこともあります。

あるよねえ。少し構造は違いますが、感謝ニーズの餌食になるという意味では、私たちセクシャルマイノリティも、自称支援者みたいな人に「助けてやってんのに文句いうなよ」と牙をむかれることあります。

障害者が配慮されることについて、「してやってるんだ、ありがたく思え」ではなくて、当然の権利とされなければ、人権の確保になっていないんだよなあ、というテーマがあるわけです。

で、この「ありがとうと言わなきゃいけない」問題と、「ありがとうと言わない」現象は、真逆のようでいて、表裏一体なところがあるかもしれないと思うのです。

社会モデルの観点で

「感謝するな」がすべてコアだとは言いませんが、コアになりうるものの一つです。

心の悩みを「病気」と捉えるなら、禁止令は腫瘍のような悪しきもの、治すべしとなるので、それを指摘することは責めているみたいになります。心理セラピーは治療スタンスではないので、責めているわけではありません。

つまり、「ありがとう」と言わない/言えないということが起きているとしたら、単に礼儀作法や道徳の教養の問題ではなく、大事なテーマを秘めている可能性があるということです。

多くの人たちは医療モデルに毒されているので、こういう話をすると、身体障害者の人たちへの悪口と捉えるのですが、そうではなくてその環境や社会の問題を懸念しているわけです。

「ありがとう」の無害論(笑)

そして、私がこうなったらいいなあと思っているのは、「ありがとう」と言わなくてもよくて、「ありがとう」と言える世界なんですね。

昔々、実業家の方のもとでアルバイトをしていたとき、その方が顧客だけでなく、仕入先などにも頻繁に「ありがとうございました」と言っていたのを思い出します。そこことについて質問すると、「ビジネスでは、立場の高低とか貸し借りに寄らず、関わったらありがとうございますって言うんだよ。あいさつだよ」と教えてくれました。

そういえば、買い物したときのレジ担当に対してとか、レストランの支給係に対して「ありがとう」って言ってます。みなさんはどうですか? けっこう多くの人がサービスや商品の売り手に対して「ありがとう」って言ってるんですよね。

「お金を払っているんだから、サービスや商品は受け取るよ」という考えはあっても、「お金を払っているんだから、感謝する必要なんかないんだよ」という考えではないんですね。

私のクライアントも「ありがとうございました」と言いますし、私も「ありがとうございました」と言います。

そこに、「ありがとうと言ったら負け」みたいなのはないわけです。

しかし、「ありがとう」と言ったら支配されるというルールがあったらどうでしょうか? 言いにくくなりますね。交通事故で謝ると非を認めたことになるので、裁判で不利になる、みたいな・・・・。

さて、ここで再び先ほどの注意点です。身体障碍者の人たちは「ありがとうと言えない」病かもしれないので、それを克服したほうがいいみたいな話に捉えないでほしいわけです。そうではなくて、もしその現象が大なり小なり起きているとしたら、それは社会に変なルールが残っているということの表れではないかなということです。

「感謝しろよ」には、言うことを聞けとか、文句を言うなとか、いろんな支配の意味合いが込められているんですよね。

私も実は障害をもっていて、けっこう助けられているのですが、「ありがとう」と言っても支配されない関係に恵まれています。

フリーな「ありがとう」なんですね。

そんな私も「ありがとう」という言葉に恐怖を感じることがあります。そんなときは「あいさつだよ」っていうのを思い出しています。

「ありがとう」は素晴らしい言葉だから言ったほうがいい的な話ではなくて、「ありがとう」がもっと安く軽くなればいいなというお話。

脚注[+]

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