40代のアダルトチルドレン

ちょっと落ち着いてきた大人のアダルトチルドレンさんたちの、「これからどうしたらいいの?」に、当事者たちに触れてきた経験から私見を述べてみます。

おさらい

アダルトチルドレンってなんだろか、おさらいをしておきます。

原家族や幼少環境

自分が子どもだった頃の家族(原家族)環境や幼少環境の影響で苦しむ人たち。

ただ、これは「原家族が悪い」とかいう怨みの概念ではありません。

ただそこにある苦しみを指しているように思います。

病名ではない

医学的な病名ではないです。もともとは、アルコール依存の親を持つ子供たちのためのグループに年齢層別の「ジュニア・チルドレン」「上級生チルドレン」のようなクラス名がありました。大人になってなお苦しみをかかえている人たちが参加するグループが始まり、それを「アダルトチルドレン」クラスと呼んだのが始まりだそうです。

現在では、親のアルコール依存に限らず、家族機能不全なども含まれます。(ここでは「誰が悪いのか」という視点から離れるために、「機能不全家族」よりも「家族機能不全」を使います)

ラベルのような単語ではありますが、あなたがアダルトチルドレンであるかないかは重要ではなく、必要な情報をみつけることに役立てばそれでよい言葉だと思います。

アダルトチルドレンという言葉は、「疾患名で表されるような症状よりも深いところを扱いたい」というスタンスとも繋がっていると思います。

過去に関わる概念である

症状のことではくて、どちらかというと原因に関する概念です。それも、現在において深層心理で起きている原因ということではなくて、過去の体験(もしくは、逆に得られなかった体験)を考慮する概念です。

ですので、原因論の罠みたいなものに注意する必要はあります。ですが、「過去のことは忘れろ」「親のせいにするな」と言われてて苦しんできた人に、そこを「伏せなくていいんですよ」という優しい言葉のようにも感じます。

アダルトチルドレンという言葉は、過去を扱うかどうかについては「過去を扱う」というアプローチを探すときの言葉だと思います。

原因を過去に求めるというよりは、置き去りにしたくない、置き去りにできない大切ななにかがあるということでしょう。

Kojunが出会ってきた悪役チャイルド世代

40代よりもう少し前の世代かもしれませんが…。

虐待の連鎖の中にある人たちの、ある世代はひっそり隠れて生きてきました。だから、医療や福祉には理解されてこなかったのだと思います。だから、私たちのような辺縁のアヤシイ心理セラピストを尋ねてきたのでしょう。

虐待の影響に気づいた若い頃には、「親のせいにすのか!」「子を思わない親がいるもんですか。ひねくれた心を直しなさい」と言われて、罪悪感を育ててしまいました。自分が親となり、虐待加害者になる頃には虐待キャンペーンが始まり、「そんな親がいるのか。みんな死刑にすればいいんだ」などと言われて、さらに孤立しました。そして、連鎖が理解されて虐待ゼロキャンペーンが始まると、自分たちは存在すべきではなかった者として、可哀想な過去のエラーとして、「そんな自分たちも生きたのだ。そしてそんな自分だからこそ生きているのだ」というアイデンティティの置き場を社会から奪われようとしています。

社会に少しずつ理解が浸透する流れ中で、常に理解されず否定され続けた世代。

そんな悪役慣れしてしまった世代もあります。

苦しむことを許されなかった世代です。この方々と過ごしたのが私の心理セラピストとしてのルーツです。

ACの40代の意味

40代頃というのは、ユングの言う人生の正午あたりでしょうか。

30代のクライアントの場合、「40歳までに克服したい!」のようにセラピーに打ち込まれる姿がみられます。

40代以降となると、これまで生きた時間よりも残された時間の方が短くなってくる実感が出てきます。人生観という側面が出て来るわけです。

相談者からも40・50代になると「これまでの人生・・・・でした」というように、なかったことには出来ない生きた時間というもの、幼少期ではなく大人として生きた時間が語られます。

それどころじゃなかった人

心以外の面で生き延びるのがやっとだったという人たちです。子育てや介護などを終えてから、心理セラピーに取り組む人たちもいます。

成熟した大人の部分と、未完了の子供時代(インナーチャイルド)が出会ってゆくようなセラピーになることが多いと思います。

突然に異変が起きた人

中年期に何かが行詰り、心の問題が露呈する人たちです。失職、別れ、子育て問題を機に自分の人生の課題を思い出します。

世界中の神話や物語に共通する転機です。起承転結の「起」でしょうか。ヒーローズジャーニー理論では「セパレーション(別れ)」と呼ばれます。それまでの生き方との別れを余儀なくされるわけです。

ひきこもったり、へんなセミナーに行ったりする人もいます。良い仲間に出会うことが大事です。

かなりの準備が出来ている人

30代の頃に心理的なセミナー、コーチング、セラピーに挑戦して、その意義を実感しつつも、根本解決してないままに40歳を過ぎたような人たちです。

必要なものを一つひとつ手に入れてきていて、材料は殆ど揃っているという人も珍しくありません。おそるおそる足を地面におろしてゆくだけ、なんてことも。

何を得てきましたか

これまでに得てきたものを大切にすることをお勧めします。

これまでにカウンセリング/ワークショップ、読書などをしてきたのなら、何が得られたかを振り返ってみましょう。

それは、今後に何が必要かということと鏡のような関係になっていると思います。

なにができるか

どうすればいいのか、なにができるのか、について、当事者視点で書いてみようと思います。

鎧を脱ぐこと

人生の前半に自分を守ってきた鎧(防衛反応)を手放す時期になります。

鎧の具体例は、「常に人と比較して優れている」「好戦的な態度」「人に近づかない」などです。

鎧の中はデリケートですので、鎧を脱ぐ前に生身(内なる安心基地や自己肯定感)を育てておく必要があります。この順番の原則は重要です。

ただ、40代以降となると人生の後半が幕を開けるので、否応なしに鎧が機能しなくなります。つまり、生身の準備が出来ていなくても鎧がほころび始めるということです。

ですので、必要最低限の鎧を残しつつ、少しは手放すという練習が必要になってきます。ただ、急激に手放してはいけません。

自分を守ってきた鎧にも感謝し、ほころびにも感謝できるとよいでしょう。

人生の後半にはいっても鎧を使い続けるということは、人を犠牲にするような強固な鎧をつくってしまったということかもしれません。そうではないことは自身にとっても幸運です。ほころびに感謝するというのは、そのような意味です。

内なる安心基地の育て

鎧を脱ぐと剥き出しになるのが生身、内なる安心基地や自己肯定感です。鎧を脱ぐ前に生身を育てるセラピーを行うのが鉄則だろうと思います。

これを育てることは、じわじわとコップに水を貯めるようなところがあります。

ですが、40代のアダルトチルドレンの悩みということは、それに時間がかかっているということでしょうか。それでも順調だというのではれば、それでよいでしょう。

もどかしさや行詰りを感じているとしたら、安心・安全がないから鎧を脱げないが、鎧を脱げないから安心・安全が育たないという鶏と卵になっているのかもしれません。

だとすると、既に獲得した安心・安全や自己肯定感を資本のように活用して、鎧を少し脱ぎ、それによって安心・安全を獲得してゆくという、小さなサイクルを回してゆくということになるでしょう。

小さなといっても、ちゃんとサイクルになっていなければ進みません。

手に入れたものを使う

既に獲得した安心・安全や自己肯定という、育った生身というのを、よちよち歩きだったとしても使ってゆく必要があります。

よちよち歩きの自分を認めて、自分のセラピストになってゆきます。もしくは、自分自身による養育が始まります。

生き方を決める

心の問題は一般に思われているよりも、回復が可能だと思います。ですが、過ぎた時間だけは取り戻せんません。また、回復とはそもそもアダルトチルドレンなどの問題を持っていなかった人と同じになるということでもないでしょう。

ですから、そんな自分というものの生き方を自分で納得してゆく必要があります。

40歳くらいまでなら、苦しかった頃のことなどすっかり忘れて再出発! なんてクライアントも結構います。

ある程度の歳になってくると、自らのポストトラウマグロース1を見定める、デザインすることも大切になるかと思います。

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