子どもの頃に起因する広義トラウマをもっていて、自立に悩む人もいます。一見すると就労の問題のようですが、実は心の問題(必ずしも精神疾患のことではない)であったりします。
私のクライアントでも、十分に就労ができていない人はよくいます。世間が思っている怠け者や心弱き者のイメージとは何かが違います。わずかなバイト収入などを工面して心理セラピーに申込む人の自我状態を「自立できていない」と表現するのには違和感があります。
自立とは経済的なこととはかぎらない。
日本における社会保障では、「経済的自立」の他に、「日常生活自立」と「社会生活自立」というものが挙げられています。私が見ているのはそれとも違うかな・・・・
ある施設を運営するNPO関係者は、「次へ向けて進もうと思えたら、それが自立じゃないかな」と言っていました。それはちょっと近いかも。
心理セラピーをしていて私が思う自立とは、「自分の人生が自分のものになること」といった感じです。。
「思い通りになる」というのとは違います。自分の人生になるってことです。
たとえば感情抑制ができない(キレちゃう)若者がいたとしたら、本人はその自覚があるのだろうかと知りたくなります。もし、自覚があって、「やめたいけどやめられないんだよ」って思っているとしたら、たぶんその人はだんだんと人生が自分のものになってゆくだろうと思うのです。
「自分の人生に責任をもつ」という表現もあるでしょうが、ちょっと裁きの視点が感じられるので嫌いです。
「責任をもつ」= respnsible = response able = 「対処できる」。だけど、対処できないこともあるっていうのがポイントです。
対処できることに対処し、対処できないことを受け入れるみたいなことでしょうか。
出来ることを諦めない力と、出来ないことを諦める力。
出来ないことの代表は、過去をなかったことにすることや、偽の優越感にすがるみたいなことでしょうか。
だんだん説教くさくなってきますね。これらは評価視点の言葉だからだと思います。
*本人にとって自立とはどんな体験なのかっていう本人視点の言葉を使いたい。ですから、「自分の人生が自分のものになること」です。
対処できないことをよい意味で諦めることは、心理セラピーでは「アクセプタンス」とか「実存因子」とか言ったりします。因子というのは克服に使われる材料とでもいいましょうか。
ですから私のクライアントは「存在したい」とか「自由になりたい」とか言うのでしょう。
実存。