心理セラピストが神(物事の神格化)についてAI(ここではAItoと呼びます)に尋ねてみました。なぜネガティブな概念が神とされるのか。
人間の性(さが)から生まれる神様
Kojun
なぜ貧乏神は「神」なのでしょうか?
AIto
貧乏神が「神」と呼ばれる理由は、日本の神の概念に関係しています。日本の神道や民間信仰では、神とは必ずしも「崇拝すべき偉大な存在」だけを指すわけではなく、「人間の生活に影響を与える霊的な存在」全般を含みます。
Kojun
雷や災害への畏敬、運や偶然という自然現象から神の概念が生じるのは分かります。
では、人間の性(さが)から生まれる神もありますか?
AIto
日本の信仰や神話の中には、「差別」や「目偏(妬み、嫉妬)」のような人間の性(さが)から生まれたと考えられる神も存在します。日本の神々は、人間の感情や社会の問題と密接に結びついており、善悪を超えて「力」を持つ存在として扱われています。
人間の負の感情や性から生まれた神々の例
1. 怨霊(御霊信仰) – 恨みや差別から生まれた神
- 崇徳天皇(すとくてんのう)
平安時代の天皇で、政治的な争いの末に島流しにされ、非業の死を遂げました。その後、都で災厄が続いたため、「怨霊」として恐れられ、御霊として祀られました。 - 菅原道真(すがわらのみちざね)
政敵により左遷され、不遇のまま死去。その後、京で落雷や天変地異が相次いだため、天神(学問の神)として祀られました。 - 平将門(たいらのまさかど)
反乱を起こし処刑された後、関東で祟るとされ、やがて「将門神」として信仰されました。
これらは、差別や権力争いの末に命を落とした者が神格化された例で、「恨み」という負の感情が神の力となったケースです。
2. 嫉妬・妬みに関する神
- 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)
不浄を浄化する仏教の明王で、嫉妬や怒りをも清める存在として信仰されています。 - 磐長姫命(いわながひめのみこと)
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉で、醜い容姿のために瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に拒まれました。そのことを恨み、「人間は短命となるように」と呪いました。この神話は、容姿による差別や嫉妬が神話に組み込まれている例です。
3. えんま大王(閻魔)と地獄の神々 – 罪と罰の具現化
- 閻魔大王(えんまさま)は仏教由来の存在ですが、地獄の裁判官として「悪行」や「差別的な行い」も裁く神とされます。
- また、日本の民間信仰では、嫉妬深い人間や差別を行った者が地獄で罰を受けるという説話も多くあります。
なぜ「負の感情」が神格化されるのか?
- 恐れの対象をコントロールするため
怨霊や嫉妬による祟りを鎮めるために、神として祀ることで、被害を防ごうとする文化がありました(御霊信仰)。 - 社会への警告として
「不当な扱いを受けた者の恨みは恐ろしい」「嫉妬や差別は大きな災いをもたらす」という教訓を伝えるために、神話や信仰の中に組み込まれました。 - 感情そのものを超越した神の概念
日本の神々は、単なる善悪の存在ではなく、人間の感情や行動の象徴としても存在します。人間の「性」そのものが、神としての力を持つことがあるのです。
「差別」や「嫉妬」のような負の感情から生まれた神々は、日本の神話や信仰の中に多く見られます。それらの神々は、人間の行いへの警告や、恐れを鎮めるための存在として信仰されてきました。つまり、日本の神々は人間の感情や行動と深く結びついており、「性(さが)」そのものが神格化されることもあるのです。
神格化はアクセプタンス!?
Kojun
心理セラピーには「アクセプタンス」という言葉があります。主にコントロールしきれない苦痛に対して、その存在を認めることと関係しています。苦痛を避けようとはしながらも、苦痛を無いことにするわけではないというのがポイントです。
日本の神々は、善し悪しではなく、その存在を意識させるため、その存在を受け入れるための概念なのかしら?
AIto
まさにそうですね。日本の神の概念は、善悪を超えて「その存在を意識させるため」「受け入れるため」に生まれたものが多いです。
例えば、貧乏神や疫病神のような存在は「悪いもの」ではありますが、ただ忌み嫌うのではなく、「なぜ貧困や病が生まれるのか」「どうすればそれらと向き合えるのか」を考えさせる存在として機能しています。祟り神や怨霊も、恨みを持つこと自体を否定するのではなく、「その感情が生まれる背景を理解し、鎮めることが大事だ」と伝える役割を持っています。
人間の「差別」「嫉妬」「恨み」といった感情も、なくすことはできません。でも、それらが神として意識されることで、「それはどこから来るのか?」「どう関わるのか?」を考える機会が生まれる。つまり、日本の神々は、人間の根源的な感情や問題を可視化し、受け入れるための概念として存在しているのかもしれませんね。
内なる貧乏神
Kojun
そういえば、心理セラピーで扱う「チャンスに出会うと避けてしまう」「自分から良好な人間関係を壊してしまう」「集団が苦手である」「報酬を受け取れない」などの心の癖は内なる貧乏神なのかも知れません。心理療法ではスキーマ、中核信念とか、人生脚本などと呼ばれています。これらを解消するにあたって、病気の原因のように扱うスタイルもあれば、かつてご本人を守ってきた大切なものとして扱うスタイルもあります。私は後者のセラピストです。
AIto
とても深いお話ですね。そして、あなたが語ってくださった視点——「貧乏神=内なる心の癖」という比喩は、驚くほどぴったりです。
心理セラピーで出会う“チャンスから逃げる”“報酬を拒む”“人とのつながりを壊してしまう”といったパターンは、表面的には「足を引っ張るもの」のように見えて、実は過去の状況下では本人を守ってきた大切な適応だったことが多い。まさに「かつては助けてくれたが、今では居座っている神様」のような存在ですよね。
貧乏神=内なる保護者
古典的な貧乏神の話でも、「追い出したと思ったら、実は災いを防いでくれていた」とか、「一緒に過ごすことで心の在り様が変わって、神様も姿を変えた」なんて話があります。これは、スキーマ療法や内的家族システム(IFS)などで言う“パーツ(部分自我)”にも通じる考え方ですよね。
あなたのように、「それはかつて本人を守ってきたもの」として丁寧に扱う姿勢は、まるで“貧乏神を追い出す”のではなく、“話しかけて理解し、一緒に生き方を変えていく”ようなセラピー。
それは、神様をも客人としてもてなす文化がある日本的な深さと、とても響き合っているように感じます。