Kojunの心理カウンセリングの原則に、「クライアントをディスカウントしない」というのがあります。
ディスカウントとは料金のことではなくて、「みくびる」「過小評価する」という意味です。
カウンセラーがクライアントの力を信じないとか、親が子の力を信じないとかですね。
ディスカウントしないというのは、人間性心理学の特徴かもしれません。
カウンセリングを始める対人支援者の例
カウンセリングを始めようとする対人支援職の方の悩みで、「うまく支援できるか心配」というのをよく聞きます。
外科医とか、救急隊員とかなら、上手く支援するだけでよいのですが、心理支援の場合はちょっと前提が違います。
カウンセリングを始めようとしている対人支援者のコンサルテーションをしているとよくあるのですが、心理支援においては、「この人に何をしてあげられるだろうか」という視点が、対人支援をいきづまらせることがあります。
問題は、支援者が主体で、被支援者は対象物というようになってしまっていることです。
この支援者は「被支援者が幸せになるかどうかは、支援者の能力次第だ」と思っているわけです。それでは上手くいきません。
これは「被支援者を甘やかすな」と言っているのではありません。
ディスカウントしないと聞いて、冷たいスパルタな感じに聞こえるとしたら、たぶんあなたはディスカウントしているのでしょう。
「うまく支援できるか心配」というのは、被支援者のことを心配しているのではなくて、自分(支援者自身)のことを心配しているのです。支援者のための支援になってしまっているのです。
だから、奇妙な表現になりますが、人を助けたい人は心理支援者に向かないとも言えます。
親子の例
ひきこもりの親御さんから「あの子に何をしてあげられるのか」という言葉を聞くことがあります。
ここで指摘しているのは甘やかしているということではありません。「何をしてあげられるのか」には、厳しく叱ることや、突き放すこと、罰を与えることなども含まれています。
多くの人は「甘やかすからひきこもりになる」という強烈なスキームを持っていますが、そのスキームは手放してからこのブログは読んでください。厳しいか甘いかはどうでもよいです。
仮に甘やかしているとしても、甘やかしていることが問題なのではないように思います。
私が問題視するのは、「本人はなにをしようとしているだろうか/本人はなにができるだろうか」ではなくて「私(親)が何をしてあげられるだろうか」になっているとうことです。これも深い意味でディスカウントです。
深い意味でというのは、生活が自立していない/できそうにない人に対しても、ディスカウントするかしないかは選べるという意味です。
子供支援団体の例
子供たちを支援している某NPOの代表はその活動の支援者募集の説明会で「子供たちを助けよう、なにかしてあげようなんて思っている人は要りません」と言っていました。
つまり、子供たちの力を信じていない人は支援活動にむいていないということでしょう。
ディスカウントの反対は信じること
ディスカウントというのは「みくびる」という意味です。
冒頭の「うまく支援できるか心配」とうい支援者は、「支援者が優れていないと被支援者は幸せになれない」と思い込んでいるのです。すなわち、被支援者をみくびっている、被支援者の力を信じていないのです。
これはうまくいきません。
支援者が失敗しても、被支援者は別の支援者を探すなりして幸せになるでしょう。私はクライアントに対して、そんなふうに思っています。クライアントの力を信じているわけです。
もし私がダメだったら、クライアントは私を離れ、次のステップに進むだろうと思っています。私がクライアントならそうするからです。ですから、カウンセラーが立派かどうかはあまり問題ではないのです。
ですから、「自分はセラピストとして立派だろうか」という心配をせずに、クライアントのことに集中できます。
「上手くいかなかったらどうしよう」という怖れがないわけではないですが、セッション中はそこに注意を払う暇はありません。
私は自分がクライアントであるときに、たとえセラピストが下手だったとしてセッションを自分に役立てて何かを得てきました。
クライアントの力を信じているというと、冷たく対応して、助けないという意味だと思う人がいますね。
そういう人は、「クライアントが無力だから助ける」という世界観なのでしょう。
上から目線は大した問題ではない
ディスカウントの説明をすると、偉そうとか、上から目線のことだと誤解する人が多いです。
ディスカウントは、偉そうとか、上から目線のことではありません。
ディスカウントを分かり易く言うと、「私(カウンセラー)が上手くやらないと、クライアントは助からない」と思っているかどうか。それだけです。
上から目線とか、話し方が偉そうとか、「先生」と呼ばせているとか、感謝されて喜んでいるとか、そういうこととディスカウントはあまり関係ありません。
上から目線で偉そうな話し方でも、感謝されて喜んでいても、クライアントの力を信じていれば、まあまあ良いカウンセラーかもしれません。
よく批判されるカウンセラーの万能感(俺様の能力はすごいのだー)も、たしかになんだかですが、ディスカウントに比べれば可愛いもんだだと思います。
ちなみに、上から目線が問題になるのは、なにかを押し付けてくる場合です。
ですから、押し付けてこないならカウンセラーが上から目線でも私は気にしません。もちろん上から目線で、しかも言ってくる内容が役に立たなければ、それは不満ですが。
たとえば、健全な親は子供の力を信じていますね。
でも、親のおかげで子供が育ったということを否定する必要はないでしょう。
親は「私は頑張って育てた」と言ってもディスカウントにはならないでしょう。
そのことと、子供の力を信じていないということは別のことですから。
「私は凄腕のセラピストだ」という態度は、「私が失敗したら、この人は助からない」という態度は別のものです。
前者のほうが鼻につくかもしれませんが、後者の呪いに比べたら大したことないと思います。
なぜKojnはディスカウントしないのか
たぶん、ネイティブセラピストだからでしょう。心理支援者の助けを得ながらも、克服するのは自分自身であるということを知っています。
あるテーマを克服したとき、当時の師からは「それをやり遂げたのは自分自身であることを忘れないように」と言われました。
また、克服する人たちを見てきたからでしよう。前例を見ているから、基本的態度として人の力を信じているのです。
そんな相談への対応
カウンセリングを始める対人支援職の「自分が上手く助けられなかったらどうしよう」と心配になるというお悩みに対しては、ペアワークで相手の手順化されたワークを手伝う練習をしてもらいます。
たいていは気の利いたことをするので、それを一つ一つ止めてもらいます。気の利いたことをしなくても、一緒にいるだけで相手が問題解決するということを体験してもらいます。
支援者が活躍しなくても相手の問題が解決するとき、自分は嬉しいか嬉しくないかを知ってもらいます。
それでも支援者が前のめりな場合は、ペアワークの相手が「(問の答えが)なにも思いつきません」となってしまったところで、支援者役の人にその場を離れてもらいます。すると問の答えが出たりします。支援者がいない方が上手くいくという体験になります。これはちょっとキツイですが、本気でカウンセリング始めようとしている人には体験してもらいます。
自分が何をしたいのか、すなわち何者なのかわかるでしょう。