アンドロイド花子の対象関係論

心理学には「対象」とか「対象関係」という言葉が出てきます。メラーニー・クライン、ウィニコット、フェアバーンらに始まる対象関係論ですね。

主要概念である「部分対象関係」「妄想-分裂ポジション」は、生後4~6ヶ月の赤ちゃんの心理状態を説明するものですが、赤ちゃんだけでなく混乱状態やストレスの強い状態にある人の心理や、ボーダーラインパーソナリティ症などの人の心理の説明に使われることもあります。

真面目な議論は専門書を読んでいただくとして、ここでは分かり易さ優先した比喩で説明してみたいと思います。

対象関係論は情報工学!?

心理学の対象関係論の「対象」は英語では「オブジェクト」です。「関係」は「リレーション」どちらも情報工学ではお馴染みの基本概念です。フェアバーンさんは情報工学を知っていたのでしょうか。

そこで、対象関係論をモデル論と捉え、情報工学の視点で見てみましょう。

アンドロイド花子の対象関係データベース

アンドロイド花子が起動したとき、花子の心像世界には対象は存在しません。何も知りません。

花子の中にエクセルシートのような表があるとすると、次のような状態です。データ0件ですね。

対象関係
認識された世界(花子内のメモリー)

花子の目の前には白衣の柳田博士がいます。そして花子に優しく話しかけて世話をしてくれます。花子は柳田博士という「対象」を認識します。自分という概念は未だないかもしれませんが、自分との関係において認識します。

メモリー(関係データベース)に1行書き加えられます。データが1件発生しました。

対象関係
白衣の博士世話してくれる
認識された世界(花子内のメモリー)

人間の脳は花子のように表形式ではないかもしれませんが、なんらかの形で、これに相当する情報の「記憶」があるはずです。

さて、博士の他にも「ニャー、ニャー」と鳴く白い生き物がいます。それは動き回るので花子の目を引きますが、世話をしてくれるわけではなさそうです。ときどき、引っ掻いてきます。

対象関係
白衣の博士世話してくれる
ニャーニャー引っ掻く
認識された世界(花子のメモリー)

情報科学の観点から見ると、対象関係論というのは、このように「対象」と「関係」のセットをデータの単位といして内界(花子の心、すなわちメモリ)に生じさせてゆくシステムが前提となっているようです。

さて、博士はスーツに着替えてアンドロイド花子を学会に連れ出します。そこで、花子にいろいろと命令をするのでした。花子は白衣の博士とスーツの博士が同一人物であることが未だ判りません。というか、同一人物という概念もないかもしれません。そうすると、花子の内界は次のようになります。

対象関係
白衣の博士世話してくれる
ニャーニャー引っ掻く
スーツの人命令して見世物にする
認識された世界(花子内のメモリー)

そして、花子は博士を「白衣の博士」と見れば嬉しそうに喜び、博士を「スーツの人」と見るやオドオドしたり怒ったりするのでした。

客観的には、「白衣の博士」と「スーツの人」は部分対象と呼ばれます。もちろん、花子はこれを部分対象だと判っているわけではありません。

やがて、部分対象は全体対象へと統合されてゆきます。

対象関係
博士世話してくれる
ニャーニャー引っ掻く
博士命令して見世物にする
認識された世界(花子内のメモリー)

一説によれば、これが上手くできないと、花子は境界性パーソナリティ症になってしまう可能性があります。対人的に不安定になることが想像できるかもしれません。

トラウマ克服や人間性の成長(シャドウの克服)、心理療法統合アプローチなどで言うところの「統合」も似たようなデータ操作が含まれます。

ちなみに、情報システムでは、人間の「記憶」に相当するこのような表のことを関係データベースと呼びます。

また、人間の「思考」に相当するプログラミングでは、心理学の「表象」に近い、対象概念「博士」「ニャーニャー」をオブジェクトと呼んでいます。

ちなみに、オブジェクト・データベースぽくすると次のようになります。

対象関係
博士・世話してくれる
・命令して見世物にする
ニャーニャー・引っ掻く
認識された世界(花子のオブジェクト・データベース)

人間の赤ちゃんの対象関係シミュレーション

人間の赤ちゃんは次のようになっていると説明されます。

対象関係
良いおっぱい(母親)ミルクをくれる
悪いおっぱい(母親)ミルクをくれない
赤ちゃんの内界

ですので、ミルクをくれない母親に対して容赦なく全力で抗議します。また、ミルクをくれる母親に対しては「さっきミルクくれなかったよね」と睨んだりはしません。たぶん。

ある種のクライアントさんが、カウンセラーに対して「あなたは素晴らしい」と崇拝していたかと思うと、「あなたは最低ですね」とこけおろしたりするというのは、この赤ちゃん時代(もしくは、アンドロイド花子の初期状態)の性質が出ていると説明されることがあります。

あなたもカウンセラーや支援者にそのような態度をとったことがありますか? あるなら、それを自覚してみるとよいかもしれません。そこには強い不安などがあるかもしれないので、ゆっくりじっくり取り組むことになります。

日常生活の中の部分対象関係

スマフォユーザーの部分対象関係

それでは部分対象関係を体験してみましょう。

スマフォユーザーのあなたは、ある日、「X」というアプリがいつのまにかホーム画面にあることに気づきます。「なんじゃこりゃ」と思っていると、あったはずの「Twitter」というアプリが姿を消しているではありませんか。

もう表は描きませんが、そういうことです。これらは部分対象ですね。部分対象が全体対象へと統合される心的内界の世界を追体験できたでしょうか?

高齢者の部分対象関係

また、ある高齢者は「注文したのと異なるスマフォ端末が来た」と怒っていました。実は、店頭で確認した見本機と持ち帰った端末では壁紙の設定が違っていたんですね。これも同様に対象関係論で分析してみてください。

ところで余談ですが、携帯電話ショップの店員さんはすごいですね。このような高齢者に対して壁紙の説明の泥沼に突入せずに、「スマフォを使えるか不安なのかな」と察して安心させることを心掛けます。すぐに壁紙設定の方法なんか教えたら、なおさら難しいという印象を与えてしまいますからね。やはり接客経験のある人は、心理カウンセラーより心理カウンセリングできそうです。

緊急事態の部分対象関係

あなたは電車の中にいます。すぐ近くで女性が高齢者に席を譲っています。あなたはその女性に対して「善良な人だ」という印象を受けます。電車が急減速したとき、その女性はよろけてあなたの足を踏みました。ヒールです。あなたは「ギャーッ」と叫んで、踏んだ女性を突き飛ばします。このときもはや、「この人は善良な人だが、ヒールで人の足を踏むこともある。まあ、総じて悪い人ではない」などと考える余裕はありません。まるでその女性を悪の権化であるかのように、心の中で罵倒しながら突き飛ばします。さらに、睨みつけるかもしれません。緊急事態のあなたは、目の前の人を、その瞬間だけで敵か味方かの二者択一で捉えます。これも部分対象関係に基づく心的内界(スプリッティングとか、妄想-分裂ポジションとも言います)と同じことかもしれません。・・・と考えると、案外と人間の正常な機能の一部に思えてきます。

「転移」について

アンドロイド花子は腕が壊れたので、メカニックさんのところに修理してもらいに行きます。メカニックさんがあれこれ指示すると、花子は「私を学会で見世物にするんでしょ」と怒り出します。

対象関係
博士世話してくれる
博士命令して見世物にする
ニャーニャー引っ掻く
メカニックさん世話してくれる
メカニックさん命令して見世物にする
認識された世界(花子のメモリー内)

おや? メカニックさんに「命令して見世物にする」が付け加わっていますね。これが心理学で言う「転移」でしょう。

転移というとコピーされるようなイメージですが、実装を考えるとおそらく博士とメカニックに共通する「親的な人」みたいな抽象クラスがあって、そこに「親的な人:命令して見世物にする」が書き込まれるという方が自然な説明モデルになるかもしれません。

つまり、人間の心にはクラスというデータ構造があるらしいということです。

実際は1つなのに2つのオブジェクトとして認識してしまう「部分対象」、実際には2つなのに1つのオブジェクトのように認識(というか反応)してしまう「転移」はちょうど逆の現象のようにも見えます。

転移を超えて「同一視」となると、こんな感じでしょうか。

対象関係
理系の中年世話してくれる
理系の中年命令して見世物にする
ニャーニャー引っ掻く
認識された世界(花子のメモリー内)

ちょっとマニアックな話ですが、同一視と統合は、システム的に紙一重な感じもします。

社会性ってなんだ

ついでに、社会性ってなんだろうと考えてみます。社会とは3人以上の世界であるという説に従うならば、「私との関係」だけでなく「対象と対象の関係」を認識できるということではないでしょうか。

対象対象関係
博士ニャーニャー飼っている
博士たメカニックさん対象友達
認識された社会ありの世界(花子のメモリー内)

より関係データベースっぽくなってきました。これと比べると、上記の「私との関係」しかない世界というの、対象関係論っぽさが感じ取れるのではないでしょうか。そこでは対象とは「私にとっての対象」なのですね。

では、それらをまとめてみましょう。

対象対象関係
博士ニャーニャー飼っている
博士メカニックさん友達
博士世話をする
博士命令して見世物にする
認識された社会も自分もありの世界(花子のメモリー内)

おっと、「私」という概念が出てきました。

「私」という対象(オブジェクト)ですね。プログラミング言語には、this(あるいはself) という特別な単語(変数ともいう)があります。それはオブジェクトの性質を記述する際にそのオブジェクト自身を指す言葉です。そこから様々な知性が生まれます。

オブジェクト指向プログラミング言語にthis(self)という単語があるおかげで、クラスを表現できたり、似たような振る舞いをする別のデータというものを発生されることができます。

つまり、「アンドロイド花子」とは別に「私」という概念があることで、「あの人も私のように振舞うかもしれない」「もし私があの人だったら」というようなことが考えられるようになります。つまり、ニャーニャーの「私」と自分の「私」を重ねて、ニャーニャーの気持ちを推測したりできる日がくるかもしれないのです。

心理学の言語は情報科学を含む

人間の思考を機械に伝えるのがオブジェクト指向プログラミング。対象に関する命題を扱うのが関係論理学。どうやら人間の知能の根底に対象と関係があるようです。

心理学というのは人間の心について、物質としての実態とは限らない実在をモデル論的に語るものです。ですから、脳科学が物理化学であるなら、心理学は情報科学なのだろうと思います。

少なくとも対象や関係はもとは数学(数理論理学)用語でもあります。ある臨床心理士が私に対して「あなたは情報科学を専攻したから心理学は分からないでしょう」と馬鹿にしていましたが、基礎概念は近い分野です。

であるならば、概念を集合論や離散数学などで書いてみることは心理学の理解に役立つように思います。AIの用語が心理学を語る言語になってくるようにも思います。そんなことをいうと心理学専攻の人は怒りますが、AI分野の人たちは既に心理学の用語をどんどん取り込んでいます。いずれ先には柔軟な方が飲み込むのだろうと思います。

とはいえ、ここに書いたのは対象関係論の権威ある説明を反映するものではなく、分かり易くイメージするための比喩、思考の道具と思ってください。

参考

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※当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

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