肯定的な心理セラピーはポジティブ・シンキングではない

肯定的とは正し急がないこと

私には心理セラピスト業界の好きなところと嫌いなところがあります。

好きなところは「正しさを強制してこない」ってとこです。

嫌いなところは「正しさを強制してくる」ってとこです。

「したくない」「したけどできない」「したくない自分を受け入れたい」などなどの、ありのままの自分を捉えることから始めることができる。

中途半端とか矛盾なども、間違いなのではなくて、それはそれとして腑に落ちてくる、それも許されるのが心理セラピーの場であります。

 
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日常で女装する生活を選んだ。でも性適合手術はしないことを選んだ。でも身体が女性になりたいなと思うこともある、そんな自分も許すことを選んだ。それが私のちょうどいいところ。

世間はそれを中途半場だとか、矛盾していると怒りました。そんな「正しさ」の外にいる、矛盾を呑み込んでいるのが私です。

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肯定的とは矛盾を呑み込むのこと

ですから、心理セラピスト同士が深層で繋がっている集団的な世界観も矛盾を包み込むように感じています。

ところが、臨床心理学や学術的なセラピストたちは、「なにが正しい」とか「これは間違っている」とかで言うのがけっこう好きなんですね。

なので私は学術的なセラピスト集団には属するのは好きではないです。制度上の身分を得たり、業界団体に所属したくないとうセラピストはちらほらいるようです。

心理セラピーは、「なにがいいか」を探究しているのであって、「なにがダメか」というのを探究しているのではない。

「どうなったらいいのか」、「どうなりたいのか」を大切にしています。

心理セラピーは肯定的なもの

心理セラピーは肯定的なものです。しかし、それはポジティブシンキングではありません。

ポジティブシンキングや、一部のポジティブ心理学みたいに、コップの水を「半部しかない」ではなく「半部もある」と捉えましょうみたいな話ではないです。

「半分なんだけど、どうしたいのか?」 それを受け入れたいのか、それを増やしたいのか。

「半分しかない」なんて言っちゃダメ―っ、みたいな怖れの反応は人の力を信頼していないわけです。「半分しかない」って言ったくらいで必ず人生がダメになるというほど人間は弱くないです。

「半分しかないんじゃなくて、半分はある」というのは人が幸せになる力を信頼していない。「半分しかないけど、半分はある」と言えるのは、根底で人の幸せになる力を信じているのだと思います。

ポジティブ/ネガティブと楽観的/悲観的は対応していないということも覚えておいて損はないでしょう。

医療は先に見立て(診断、医学的適応など)があってから、次に本人の意向などを加味して、方針の選択となるように思います。

心理セラピーは本人の意向があってから、見立てがはじまる。

心理セラピーの場合は本人が何を望んでいるかによって、見立てが変わるんですね。

参考動画:

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