宿命と解決志向アプローチ

Kojunから見た解決志向アプローチ(以下、SFA)を語ってみたいと思います。

SFAはもともと家族療法に縁のあるものだそうですが、Kojunの心理セラピーは短期療法という接点があるように思います。

ウェルフォームド・ゴールを発掘する

カウンセリングにおいて、原因について掘り下げる作業をケースフォーミュレーションと言います。「こうなって、こうなって、こうなっているから、こうなっているんですね」みたいなやつです。

一方で、ゴールを発掘する作業はウェルフォームド・ゴール作りと言います。「こうなればいいんですね」みたいなやつです。

※ウェルフォームド・ゴールを日本語に訳すと、「よくできた目標」でしょうか。

SFAはウェルフォームド・ゴールを作ることにかなり時間をかけるようです。

本質としてはゴールを描くことへの情熱のように思います。

Kojunセッションの始めがSFAっぽい

Kojunのクライアントは悩みを聴いてもらいたいだけではなく、解決を求めている人が多いので、解決志向のクライアントが多いと言えるでしょう。

なので、SFA的な要素はKojunセラピーの中にもちらほら入っています。

まず、Kojunの心理セラピーでもゴール発掘は行います。

セッションの初めに目的を確認したり、「どうなればよいでしょうか?」と尋ねたりします。

「あなたの望みはなに?」と問うことへのKojunの拘りはSFAと同じだと思います。「Wish」という名のグループセッションを開催していたほどです。

純粋なSFAは原因や苦しみについては掘り下げないというスタイルだそうですが、Kojunの心理セラピーはそこは異なります。

最初にどうなりたいかを確認して、中盤で過去を扱うことが多いです。

そもそもが過去の出来事や原家族に関するテーマのお悩みであったとしても、必ずクライアントの望みは尋ねます。過去を扱うからといって、未来に目標をもたないなんてことはありません。

宿命を扱うときは中心がSFAぽくなる

Kojunのセッションでもゴール作りに比重がおかれることはあります。すなわちSFAに近くなるケースですね。

それはどんなケースかというと、宿命を扱う場合かと思います。

宿命と呼んでいるのは、変えようのないこと、すでに起きてしまったこと、それを無理に変えるとクライアントが自分自身ではなくなってしまうようなことです。

ちなみに、それと対比して、パターン化しているけど変えることができるようなこと、やめたい性格、心の病などは運命と呼んでいます。

宿命を扱うときセラピーの中心がSFAになるとうのはどういうことでしょうか。

つまり、変えられない何かに対して、何ができるかを考える必要があるということです。

たとえば、子供の頃に親が近くにいなかった。だとしたら、何を望めばよいのか?

性暴力被害にあったという過去の出来事自体を変えることはできない。だとしたら、何を得たいのか?

ウェルフォームド・ゴールが必要になってくるわけです。

「いやだー」「苦しい」から「どうなればいいか」を見つけてゆく必要があるわけです。

スタート時に限らず、セラピーが行き詰まったときにも、「どうしたいですか?」と尋ねることがあります。行き詰まったときは「どうしたいか」を知る絶好のチャンスだからです。このタイミングではとても大事な答えが返ってきます。

つまり、ゴール作りは心理セラピーの前提ではなくて結果として得られるものであるケースもあるということです。

ここでも、純粋なSFAと異なるのは、変えられない宿命についてもしっかり触れてゆくという点です。

たとえば、親が近くにいなかったということが苦しみになっているとしたら、その感情を扱います。それをやったところで過去が変わるわけではないのですが、その変えられない宿命に関する感情を大切に扱います。

感情の解放をすることで、力動が調整されるという精神力動の考えもありますが、それだけではありません。

変えられないことにしっかり触れることで、変えられることに手が届くようになるのです。

SFAはポジティブ・シンキングだと思われているが

専門家のあいだでも、SFAはポジティブ・シンキングのことだと思われているふしがあります。しかし、私はポジティブ・シンキングよりも深いものだと思っています。

問題に注目しないということが、しばしばSFAでは強調されます。これはとてもウケがよいです。

「問題に注目すると問題が増える。解決策に注目すると解決策が増える」というような標語は、多くの人が飛びつきます。

その拡大解釈から、しばしば「ネガティブなことに注目するとネガティブなことが増える」ということが強く信じられていますが、その拡大解釈が苦しみを長期化していることもあります。

Kojun等の心理セラピーでは、ネガティブなことに注目しても、そのようなことは起こりません。

ネガティブなことに注目すると、「やっと言えた」とか「分かってくれてありがとう」というように、苦しみが成仏してゆくことが多いです。

ネガティブに注目してもネガティブが増殖しないのが、心理セラピストの在り方でしょう。

ネガティブに触れるとネガティブが増えるセラピーというのは、何かが足りないのでしょう。本当の感情に届いていないとか、矛盾を飲み込む準備ができていないとか。

「ネガティブに注目する」=「誰かの非を探す」という裁きが伴っていると、ネガティブは増殖するように思います。

ですので、上記は「ネガティブを責めるとネガティブが増える」と言い換えることができるかもしれません。

SFAの説明では「問題分析をするとよくない」と批判されていることが多いです。

ですが、上手くいっていることに注目するというのもSFA(解決志向)の特徴です。

問題分析を批判せずに、問題分析についても「問題分析の利点はなんだろう」と問えばよいと思います。

SFAの本質は解決に軸足をおくことだと思います。つまり、得たい結果を大切にして、問題分析は臨機応変に変更できれば、問題や悪いことについて扱ってもSFAなのだと思います。

「親に原因があるのではないか」に対して、「そんなネガティブなことを考えちゃだめ」だとうのがSFAだと思っている専門家が多いようです。

私は、「親に原因があるのではないか」に対しても、「そのアイデアがどのように解決に役立ちますか?」と扱います。そうすれば、「親にできることはありますか?」という真意や「自身ではどうしようもないという苦しみを忘れないでほしい」というニーズが表れたりします。

原因論が軸足になることを避けたいのであって、原因論撲滅運動をしたいわけではないのです。

SFAの本質は解決像に軸足をおくことだと思いますので、「親に原因があるのではないか」に対しては、立ち返って「親に原因があることが立証されることが、あなたの望みですか?」と尋ねたりすることはあります。

前述の言い方ですと、ウェルフォームド・ゴール作りの材料として大切にするわけです。

「原因や犯人を捜していたら解決しませんよ」ではなくて、ご本人が本当に望んでいることが原因や犯人捜しではないことに気づいてもらうことが重要なのです。

そしてもし、それでも原因・犯人捜しに拘るのであれば、その拘りの本当の理由を知る必要があります。そこを置き去りにして「原因や犯人を捜していたら解決しませんよ」としてしまえば、その人が相談にきた本当の目的は闇の中となり、解決志向も成立しなくなります。相談者の目的が闇の中ですから、支援者にとっての解決しか扱えなくなります。

そんなわけで、SFAはポジティブ・シンキングではなくて、「あなたにとっての解決とは何?」と問い続けるアプローチなんだと思います。

※当サイトの記事には独自の意見や枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものでもありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。
※プライバシー保護優先のため、当サイトの事例は原則として複数の情報を参考に一般化/再構成した仮想事例です。

広告