認知再構成法(CR)というのは狭義の認知行動療法です。昔は認知行動療法(CBT)といえばこれのことを指していましたが、いまではいろいろな認知行動療法が出てきたので、ここでは認知再構成法(CR)と呼ぶことにします。
CRはわりと意識に近いところ(前意識くらい)までを扱うものですね。自動思考の変化を狙うものです。
Kojunの心理セラピーはもっと深いところの、中核信念とかスキーマの変化を狙っています。なので、CRで解決するようなお悩みの人はKojunの個人セッションにはあまり来ないんです。
講座や勉強会でCRをファシリテートすることはあります。でも、KojunがCRをファシリテートすると、深層心理セラピストっぽい雰囲気が出てしまい、参加者が深層心理を出してくるんですよね。
認知再構成法(CR)のやり方
ネット上にもたくさん情報があるでしょうから、ごく簡単に説明します。
不快な感情が起きた場面を記録してゆきます。記録の項目は「状況」「感情」「自動思考」「反証」「感情の変化」です。
状況:先輩に話しかけたら、無視された
感情:しょんぼり(80%)
自動思考:嫌われているんだ
反証:嫌われているのではなくて、忙しかったのかもしれない
感情の変化:しょんぼり(60%)
このような記録を継続してゆくと、だんだんと自動思考という癖が変化してラクになってゆくというものです。
グループでやる場合は、「反証」のアイデアを他のメンバーからもらったりできます。
以下ではKojunっぽい観点を追加してゆきます。
項目名をアレンジせよ
たとえば、「反証」の項目名を「合理的な考え」などと表記しているワークシートもあります。そこには「メンタル不調になる人は不合理的な考えかたの癖がある」という発想があります。そのような患者さんたちを扱うならそれもよいでしょう。
社会適応を意識するなら「より適応的な考え」となるかもしれません。
Kojunの講座にくる人たちは、精神的な自由を求めている人たちなので、「柔軟な考え」と表記したほうが上手くいきます。
たまたま入手したワークシートの言葉を鵜呑みにしないで、少しアレンジすることも検討してください。
「感情」になにを選ぶか
CRは手順通りにやったら、だれがファシリテートしても同じような結果が出るというのがウリです。標準化されていて成果が安定しているわけです。
本人の個人差はありますが、繰り返すことで、段々と上手になってゆきます。
ですが、Kojunの場合は、ぽんぽんアドバイスして速く習得してもらいます。「感情」の選び方がその一つです。
たとえば、上の例では「感情」として「しょんぼり」が挙げられています。
お話を聞いていると、どうやら「しょんぼり」に苦しんでいるのではなくて、「その程度のことでしょんぼりする自分への罪悪感」に苦しんでいるという心が読み取れる場合があります。
その場合は、「感情」として「罪悪感」を挙げるほうがよいでしょう。
「しょんぼり」はたしかに感情ではありますが、ここでは「状況」に入れることになります。しょんぼりしたという状況に対して罪悪感を感じた。心理セラピストは、本人を苦しめているもの、本人の魂が手放したいと訴えているのは「しょんぼり」ではなくて「罪悪感」だと気づくわけです。そして、それを提案すると、「あ、そうですね」と涙するわけです。
認知技法のCRをベースとしながらも、感情焦点化や精神力動アプローチぽくなっちゃいますね。
そこまで精度を上げなくてもCRはできるのですが、感情の扱いに感度があるセラピストが補助するとぐんと深まります。(そこまでやると統合アプローチかもしれませんが)
余計な誘導になるかもしれないという意見もあるかもしれませんが、実はこのケースの場合、「しょんぼり」という感情を解消しようとすると、ますます悩みが深くなることがあるのです。「しょんぼりを解消しなくてはいけないとい」というスキーマ・自動思考こそが苦しみの原因なので。
CRが効かないケースに気づく
「自動思考」というのは個々の場面に発生するものですが、繰り返し似たような自動思考を発生させる、その雛形のようなものがあります。そしてそれが、深層心理にある場合は、なかなか変化しません。それはコアビリーフとかスキーマとか呼ばれます。
自動思考:場面ごとに発生する反応
スキーマ:いつもの反応パターンの元
犬恐怖症の人が「すべての犬が噛むわけではない」のような反証を頭で受け入れても、恐怖症反応はなかなか消えないかもしれません。消える人もいますが、その程度のことでは消えないから心理セラピーに申し込んでくるわけです。
同様に、トラウマとか幼少期の性格形成とかも、気づいたりしたくらいで変わるレベルのものではありません。
また、その自動思考とスキーマが実は大事ななにかを守っている場合も、なかなか変化が起きません。
たとえば、上の例の「罪悪感」のもとが、「弟を虐めから守ってあげられなかった」という後悔を再現しているとしたら、その罪悪感を手放すことは(当時の)弟を見捨てることになってしまうわけです。現実はそうでなくても、深層心理的にそうなっているということです。
CRが効かないケースというのは、自動思考レベルではなくスキーマレベルに重心がある場合です。
ちゃんと「反証」を思いついたとしても、「分かってるけど変えられない」「変えたくない」「治っちゃだめっ」となるわけです。
そのような悩みや感情パターンについては、CRをやってみたけど効かないねえとなるわけです。もしくは、CRの説明を聞いた時点でやりたくなーい感じがしたりします。
それはCRのやり方が間違っているわけではないので、そのケースを使ってCRの練習を続けさせないようにします。
そのようなスキーマレベルのものらしければ、本人が疲弊する前に、Kojunは早い段階で「それはCRが上手くいかなくても落ち込まないように」と言います。
Kojunがファシリテートしている場はグループセッションぽさがどうして出てしまうので、CR講座であっても参加者がスキーマレベルのテーマをどんどん出してきます。そうすると「反証」の部分がかなり深くなってゆきます。「反証」と言いながら肯定だったり。
あんまりがっつりやると、CR+感情焦点化(精神力動、ゲシュタルト療法)+ブリーフセラピーみたいな統合アプローチになってしまうので、もはやCRではなくなっちゃいます。そうなると自動思考をどうこうしようとはしないので。
※第三世代認知行動療法にも、自動思考を変えることへの拘りを弱めたものがあるようです。マインドフルネスを取入れたものは、修正よりも気づくことを重視したりしますね。