診断名やラベルは原因ではない

子供を医師に診てもらって、「〇〇障害の診断がついた」と言う人と、「うちの子は〇〇障害だった」と言う人は、捉え方がかなり違うように思います。もちろん、表面的な言葉だけで決まることではないのですが。子供だけじゃなくて、本人の場合もです。

支援や対応が必要だと判断するのが今日の診断であったりもします。それによって配慮されたり、支援を受けたり、名誉が守られたりします。それは「この者は支援/配慮が必要である」という判断が目的であって、「この者は病気である」というのは手段的なところなんですね。

たとえば、病気の原因や症状があったとしても困っていなければ障害にならない診断名もありますし、いまのところぴったりの診断名がない障害もあります。

つまり、診断は福祉サービスにつなげるための手続きという側面ですね。とくに精神に関する障害の場合は、そのように捉えたほうがよいように感じます。

これはトラウマ、愛着不安定、HSP、PTSDとかが自分に当てはまると気づいた人が、それに心が支配されるかどうかにも似ている感じがします。

「あなたはPTSDです」と専門家に言われた人は、PTSDの症状がどんどん出やすくなるということがあるそうです。そうでなくても、自分はトラウマだーと思って生きることは、生き方に影響します。このセルフフィードバックの影響は身体障碍よりもかなり大きいように思います。

この話の難しいところは、正義のお面をつけた人が、「それじゃあ、その人たちは仮病だっていうのかよっ」って怒りだしたり、逆に「そうだ、仮病だ」と言い出す人がいたりすることです。

また、診断によって助かった人が、「私は診断によって救われた。診断の悪口を言うな」と怒り出したりします。

どちらもカテゴリーエラー(論点違い)なんですけど、人の感情に触れやすいトピックです。だからこそ、大事。

実は私も診断によって助けられたことがあり、その手続きを通して「自分は悪くなんだ」と思うことができました。自分を責めるのをやめるきっかけにもなったんですね。ですから、診断はありがたいと思う人の気持ちは察します。

そのうえで、私は〇〇障害者ではなく、Kojunとして生きたいと思うわけです。現代の診断マニュアルでいえば〇〇障害に分類されるということであって、私に起きていることは唯一無二の私なんだということが大事なんですね。〇〇障害らしく生きる必要を背負いたくはない。

診断をするなと言っているのではなく、診断名は医師がつけるもので、その人そのものの外にあるものだということです。「私は〇〇障害だ」というのと「私は〇〇障害の診断を受けた」というのは、生き方として大きく違うわけです。

つまり、診断を受けたときに「原因が解った」と捉えることを私はお勧めしないのです。

ある発達障害者家族の会の幹部の方が講演で「発達障害であるか、ないかを問題にしていたら、うまくいかない」と言っていました。つまり、あることが出来ないという事実に対して、発達障害なら許す、そうでなかったら許さないという態度では、その人そのものを応援することはできないという意味だろうと思います。

精神保健に関しては、診断名はその人を社会(とくに福祉)とつなぐためのものであって、その人の中に何が起きているかということは、その手続きとは別に柔軟に探究されるほうがよいと思います。

あるトランスジェンダーが(出生の身体は女性、心は男性)が男性として生きようと奮闘するドキュメンタリーがありました。その母親が性同一性障害という診断名に出会い、「あーこれで原因がわかった」と思ったと言っていました。ところが、男性への性適合手術のあと、その本人は「やっぱり自分は男じゃない」と言い出したのです。それに対して、大人たちは一貫性がないと問題視するのですが、本人の友人たちは「〇〇ちゃんは〇〇ちゃんだ」と言うのです。つまり、診断はその時点での判断であって、客観的な原因ではないのです。

生物医学の、骨が折れてるとか、腫瘍があるとかいうのは客観的な原因です。骨が折れているときに「骨折」と診断されます。それに対して精神に関する診断マニュアルは原則として症状に対して(あまり原因を問わず)診断名をつけます。ですので、それは原因ではなくて症状に名前をつけているのです。

だから、診断を受けたということは、原因がわかったというよりは、症状が基準を満たすことがわかったという感じです。

たとえばアダルトチルドレンというのが診断名にならなかったのは、よかったと思います。機能不全家族が原因で、これこれの特徴の悩みをもつ人ってことになると思うのですが、自分がそれに当てはまると気づいたときも、二通りの態度があるようです。

「私はアダルトチルドレンだから不幸なのだ」と原因として解釈し、不幸せキャラになってゆく態度。もう一つは、「たくさんの自分に似たような人たちが生きているのだ。その情報を参考にして幸せになろう」と検索キーワードとして活用する態度。これはポジティブかネガティブかということではなくて、ラベルという外から貼ったものを原因と思うか便宜的な目印と思うかということですね。

はたして、この話は伝わったでしょうか。

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