わたしはカウンセラーであるわりには、共感的な反応が薄い。
これはカウンセラーよりはセラピストぽいとも言えるかも。
共感が薄い代わりに、共感できないものを少し赦すスペースがある。それは理解できないものを少し受け入れるスペース。
「なんかわからないけど、なんかあるんですね」というもの。
理由が分からないからといって、本人がやりたくないことをやらせない。理由も言いたくなければ言わせない。そういうルールではなくて、そうなるなにか。
実際にはやりたくないことに挑戦を促すし、理由も尋ねることができる。
やりたくない理由が分からないからといって、やりたくない理由がない無いのとして扱わない。やりたくない理由は、無いのではなくて、不明なだけ。
あるけど、見えないもの。
その存在をゆるす。