理解できなくても、存在をゆるす

わたしはカウンセラーであるわりには、共感的なリアクションが薄いです。セッション中に涙が出ることはありますが、それは癒しのプロセスの場合であって、「お辛いですね」みたいな表情は殆どしないと思います。

その代わりといいますか、理解できないものを少し受け入れるスペースがあります。

「なんかわからないけど、なんかあるんですね」というもの。

理由が分からないからといって、本人がやりたくないことをやらせない。理由も言いたくなければ言わせない。そういうルールではなくて、そうなるなにか。

実際にはやりたくないことに挑戦を促すし、理由も尋ねることができる。

やりたくない理由が分からないからといって、やりたくない理由がない無いのとして扱わない。やりたくない理由は、無いのではなくて、不明なだけ。

あるけど、見えないもの。

その存在をゆるす。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

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