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人は人を変えようとするとき、相手を傷つける

2種類の暴力があると思います。

人は人を変えようとするとき、相手を傷つけます。それが1つめです。

それ以外が2つめです。2つめは、虐めやパワハラです。

1つめは喧嘩なんかも含みます。

相手を変えようとしているかどうか、です。

なんでこれを区別するのかというと、対処法する心構えが違うからです。

人を変えようとする暴力は、罰の付け動機と呼んでいます。「罰や報酬を与えると行動が変わる」というのはオペランド条件付けとして心理学者が研究してきましたが、ここで問題にしているのは「人は人の行動を変えるために、罰を与えようとする」という性質です。

オペランド条件付けされる側が研究対象になってきたのですが、オペランド条件付けする側に心の問題をみています。

人を変えようとする暴力は、愛と支配があるようです。

支配は支配者が使う暴力ですね。わかりやすい。

愛は家族や支援者がよかれと思って使う暴力ですね。

たとえば、ひきこもりの人を家族が責めるというようなものです。多くのカウンセラーが「責めても解決しませんよ」と言うのは、暴力によって本人の努力をくじかないためかと思います。

家族は罰の条件付けをしたがっているので、厳しくするか、甘くするかという観点でしか見ることができません。ですからカウンセラーに対して「甘すぎる」と怒るわけです。実は、甘いか厳しいかの軸には正解はないのですが。

よかれと思っている家族に問題があると指摘するのは、とっても嫌われるアプローチですので、家族支援のプロはそれよりうまくやるのでしょうけど。

私は率直に言うことしかできないので、それは暴力であるということに気づくことをお勧めします。それは、罰の条件付け型の暴力であって、上述のそれ以外の暴力ではないと理解することも必要です。

人を変えることを目的とした暴力、ということです。

よかれと思ってやっているつもりだけど、じつは自分のために相手を変えようとしている、そのために相手が傷つく言葉を選んでいるということです。

「家族が応援すると動けなくなる」というお題で話したこともあります。

暴力という言葉を使うのは、メカニズムを解明するためで、家族が悪いと言うためではありません。「家族を悪者にするのか!」と怒るのであれば、それほど「あなたはダメです」と言われることが人を傷つけるということです。ちょっとしんどいけど、裁くための犯人捜しをしているのではないということをつかめるかは大事だと思います。

ここでは人を変えようとすることが暴力となるという話をしていますが、家族がそれをしてしまうのは別のある必要性が絡んでいます。それはある必要なことのために起きているわけです。

ですので、「それは悪いことだからやめなさい」というほど単純な話でもないのです。だからといってそれが暴力であることから目をそらさないでほしいという、無理難題を言っています。

かく言う私も家族に対して、変えようとして言葉の暴力を与えることがよくあると告白しましょう。それをしてしまう自分を責めることなく、それをしてしまう自分を自覚するわけです。そこまでできたとき、ではではどうしたいかを考える準備がやっとできるわけです。

責める側にとっては一過性、責められる側にとっては蓄積されるということです。責める側にとっては「言ってやったのに変わらなかった」という体験ですが、責められた側には「私はダメな人間なのだ」とか「スモールステップで努力したら叩かれる」とうことが蓄積されてゆきます。

叩く側は忘れ、叩かれた側には残るというのも暴力の特徴です。

とくに、ひきこもりでは「挑戦することに対して罰を与え続けられてきた」ということもあるようです。つまり、動かないから叱っているつもりでも、動こうとしている(あるいは他の解決を模索している、動くための準備をしている、自分を責めるのをやめる練習をしている)ときに「動け、動け」と叩いているという感じです。

※すべてのケースに当てはまるものではありません。
※何度も言いますが、誰が悪いかの話をしているのではありません。

家族の心情を考えると、暴力という言葉はどうかとも思います。あえて観点の一つとして暴力と書いてみました。

動けなくなっている当人の状態が骨折に似ているように思います。リハビリは必要ですが、責めはリハビリをくじく。それは身体のリハビリよりも難しいです。

これは、説明しても、説得しても解けないことが多いかと思います。その場合の当人(ひきこもり等)にできる対処法は、そんな家族を諦めて許すとか、思いきり怒ってみるとか、状況によってさまざまなワークが考えられるのですが、それは当人がこれまでやってきた異常行動と似ています。異常行動は本人が無意識にたどり着いた解決のための努力なんですね。

ただ、セラピーのワークが異常行動と違うのは、なんのためにそれをやっているかという自覚(メタ認知)と、内面に起きた変化を捉えて誰かに聴いてもらう(リフレクション)があるということかと思います。

心理セラピーで解決が見えてきたあたりで、「いままで苦しみもがいてやってきたことは、すべて意味のあることだったのですね」と言うことがよくあります。

参考:
『摂食障害の不安に向き合う:対人関係療法によるアプローチ』 水島 広子 (著)

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