肝心なときに余計なアドバイスをしない友達

あなたは誰を友達に選んでいますか? あ、そもそもですが、友達は自分が選んでいるのですよ、自分が。

一緒にいる時間の長さでおなく、好き嫌いでもなく、心理的な面から、こんな友達がいいなと思うポイントを挙げてみます。

その1:肝心なときに、余計なアドバイスをしない人

なんですが、その趣旨を説明します。「肝心なとき」「余計な」ってなんだろ、とうところですよね。

人はいきづまったとき、心の奥にしまってしまった何かを出してみる必要があります。それは独りでやる作業でもありますが、人が聴いてくれると助かったりします。

たとえば、「会社の利益を優先するように上司から言われて、お客のためにならない仕事をしていた」という、置き去りにされた悲しみが出てきたりします。その悲しみは、置き去りにされていたために、意識の外に隠されていました。そして、日常や人生を行き詰らせる影響を与えていたりします。なぜか仕事がはかどらない、アイデアが出なくなる、コミュニケーションがうまくいかない、などなどです。

これは「隠された本当の気持ち」とでも言いましょうか。それに触れる(この場合は、ちゃんと泣く)ことで、無意識下の余計な反応が解かれて、ニュートラルに物事をとらえたり、実行したりできるようになります。カタルシスと呼ばれるものですね。

それが「隠された本当の気持ち」なのか、むしろ「本当の気持ちを隠すための思考」なのか、本人にはわからないことが多いです。ですので、心理セラピーで真実を探すお手伝いをするわけです。

「そうか、そうだったんだね、自分ちゃん」と、それを受け容れたとき、それは無意識下から変なことをしなくなります。制限なく、いろんな考えをすることもできます。「さあて、どうするかなっと」「はたして、どうしたいのかな」というように。

そのカタルシスの瞬間が、上述の「肝心なとき」です。そのとき、余計なアドバイスをしないで欲しいのです。

たとえばこんな感じです。

「上司の立場にたってごらん。会社の利益も考えるからその仕事が成り立っているんだよ。ある程度のわりきりも必要なんじゃないかな」

まあ、正しいでしょう。しかし、とっさに他人が思いつくその程度のことは、小さなカタルシスを突破すれば、たいてい本人も気づくことはできるのです。といいますか、それくらい既に知っているよということが多いかと思います。

この「上司の言うことにも一理ある」は、「隠された本当の気持ち」が隠されている状態(カタルシス前)では、それを隠し続ける働きをします。一方で、「隠された本当の気持ち」が受け入れられた状態(カタルシス後)では役に立つ正論の1つになり得ます。

上述の「余計な(アドバイス)」とは、本人の理性をみくびった(アドバイス)ということです。

よい友達を再発見したり、誰かのよい友達になるための、ご参考になれば幸いです。あ、ご自身に対してもね。

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