「怒り」は解放した方がいいのか、抑えた方がいいのか

自分の「怒り」の感情に悩んでいる場合、怒りを抑える方法に関心があるかもしれません。一方で、抑えても根本解決になりそうにないので解放したいと考える人もいます。

手法はどちらもあります。どちらが正しいかというよりも、「解放する」とは何か、「抑える」とは何か、を知ることが実践のポイントとなるように思います。

相手に対して出ている/出そうな場合、つまり暴言や暴力として表れる場合は、これは応急対応として「抑える」技術が必要でしょう。また、不機嫌にその場を立ち去ってしまうなどの不適切行動によって社会生活に支障がある場合も同様です。

一方で、内なる問題、心の状態に関する困り事が長期化している/パターン化しているなら、抑えてても解決しない可能性もあります。その場合は「解放する」実践が役立つかもしれません。

「怒りを抑える」とは

抑える目的は2つあるように思います。

  • 怒りを行動化しないということ(相手にぶつけない)
  • 観察する自分を取り戻す(判断能力を失わない)

いずれにしても、怒りを消すことには拘らなくてよいでしょう。「抑える」は「手放す」と表現されることもあります。(余談ですが、「手放す」と「解放する」はどちらもrelaseと訳せるのは面白いです)

行動化しないという観点からすると、怒りを抑えるというより、行動が抑えられればよい場合もあるでしょう。冒頭に書いたように攻撃という行動化が問題の場合、怒るということと、攻撃することがイコールでなくなることが当面の目標となる人もいます。 

また、観察する自分がいないというのは、攻撃という手段しか選べなくなるということです。怒るということと、自分を失うことがイコールでなくなるということが当面の目標となる人もいるでしょう。

ただ、怒っているけどそんな自分に気づいている、怒っているけど攻撃しない、そこまで出来ているけどその状態が辛いという人が悩むのでしょうから、怒りの反応を減らす方法にニーズがあるのだと思います。抑えるというよりは、反応を軽減するということかと思います。

方法としては、ゆっくり呼吸することによって自律神経の状態を変えたり、数を数えることで注意を変化させたりすることが考えられます。応急対応ですが、習慣化することもできます。

物事の捉え方の枠組みを変化させる認知的技法も役に立つかもしれません。たとえば、「あいつが欠勤したせいで・・・」と思っていた人が、「それは一人が欠勤しただけで成立しなくなる業務体制の問題だよね」と気づくと、「誰々のせいで」というパターンの怒りが全て消えてゆくということもあります。

「怒りを解放する」とは

まず、怒りの解放は、相手にぶつける、攻撃するということではありません。

怒りの解放=相手への攻撃だと思っている場合は、そもそも解放のアプローチは上手くいきません。「え? 相手にぶつけない怒りなんてあるの?」となる人はけっこういます。

よくあるのは、怒りの解放=攻撃だと思い込んでいるために、怒りが出せない(「私は怒っていません」「しかたないと思います」)で抑圧状態になっているケースです。「怒りが止まりません」とは言わない相談で、実は怒りが隠れているという場合などがあります。「怒りが止まりません」という相談でも、イメージワークで動作で怒りを表現するように促すと、「そんなこと出来ません」となることがあります。

怒りを解放するというのは、相手にぶつけるのではなく、今ここに出すということです。

「自分が悪いと思い込まされたうえで暴力を受けている人が、正当防衛のためにちゃんと怒りを出す」というように、怒りを相手のぶつける場面も「怒りの解放」と呼ばれるかもしれませんが、日常生活でそれが繰り返されるということはあまりないと思いますので、ここでは扱いません。過剰防衛のリスクもあります。そのような状況があるなら、早い段階で法的なアプローチに切り替える必要があるかもしれません。それがトラウマ化した場合には、正当防衛の怒りのワークをすることもありますが、被害状況や被害トラウマの話はここでは除外しています。

怒りを解放する目的はこのようなものが挙げられます。

  • ちゃんと怒れるようになることで、心を守る、自分を傷つけなくなる
  • 怒りを完了させることで、苦しみや、抑圧の副作用行動を解決する

方法としては、鼻息をフーンと出すものから、声や動作を使ったものまであります。ただ、ちゃんと指導してもらう必要があります。ちゃんと指導できるセラピストに出会うまでが大変です。

怒りの解放には次のようなことが含まれます。ただ大声で叫べばよいというものではありません。

何に怒っているのか明らかにする

たとえば、「顔を見るだけで腹が立つ」と言う場合、相手の顔が怒り本当の理由であることは殆どないです。本当の理由が言えないからそうなるのです。それは、上手く言葉で表現できないとい場合もありますし、自分の悲しみや弱みに触れるから言えないという場合もあります。

たとえば、「夫がゴミを捨ててくれない」というような話も、本当の理由を尋ねると「軽んじられている」とか「以前と変わったから不安」というような想いが出てきます。

場合によっては、本当の理由が深く隠れていて、イメージワークをしないと本当の理由が出てこない場合もあります。

それらの場合には、「顔を見るだけで腹が立つ」とか「ゴミ出しなさいよ」というような台詞を言いながら怒りを表出するワークをしても、目的に挙げたような効果は期待できません。なおさらこじれることもあるでしょう。

心理セラピー的な「怒りの解放」は、本当の理由を明らかにするということが含まれています。

そもそもそれは怒りではなかったという場合もあり、その場合は「怒りの解放」は必要なくなります。それもまた解放なのかもしれませんが。

置き去りにされた自分を救済する

これは前項にも通じるのですが、怒りの本質が過去の未完了などにある場合です。たとえば、幼少期に母親が父親に「馬鹿、馬鹿」と言っていたことがとても嫌だったので、大人になったいま似たような場面を見ると強い怒りが起きるというようなものです。

これを置き去りにされた自分からのSOS信号と捉えるならば、むしろ安易に感情の扱いの技術で解決すれば自分を見捨てることになります。Kojunが扱うクライアントには、このような相談も多く、その悩みは「単に怒りをおさめたいわけではない」以上のものであることをご本人も感じています。怒りの解放という言葉に惹かれるのは、置き去りにされた自分を迷子状態から解放したいのでしょう。

誰も傷つけずに怒る

怒り=攻撃となっている人が多いという話をしましたが、それを実践的に解くってことですね。たとえば、相手がいない場所で、怒り表出のワークをしても、相手は怪我もしませんし、傷つきもしません。それはあなたの心の中の作業だからです。つまり、怒りを持つこと、怒りを表現すること、それは必ずしも攻撃ではない。「攻撃しないけど、怒る」ということを分かり易く行動として体験すると、怒りを自分の一部として扱えるようになってきます。怒りに支配されるのではなく、怒りを所有するのです。

それは安全な怒りの出し方を知ることで、抑えるか爆発するかという二者択一からの脱出にもなります。

これによって、怒りに駆られるのではなく、怒りをエネルギーとして、適応的な行動を選びやすくなります。

怒りの表出などをすることで、日常生活の適応行動を経なくても、その場で怒りが完了してゆく場合もあります。

出せばよいというものではなく、そこには本人にとって触れがたいものに触れる実践が含まれます。大抵の場合、ブチ切れても解放にはなりません。

参考

  • 『喜怒哀楽の起源』遠藤利彦
  • 『怒らない伝え方』戸田久美
  • 『カウンセリングに活かす「感情処理法」』倉成 宣佳 著
  • 『エモーション・フォーカスト・セラピー入門』レスリー・S・グリーンバーグ

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