叩く、罰する、叱る、と良くなるのか。叱るのがいいか、褒めるのがいいか、結論を二者択一で暗記するより、理由をよく理解てゆくか、体験的に知ることが大事だと思います。
ひきこもりについても、叱咤激励してあまりうまくいかない。だからと言って、「そっとしとく」を丸暗記してるだけなアドバイスもあまり役に立たないなんて話もあるようです。
いろんな分野で似たようなことがあります。
結論を丸暗記すると、たいてい二者択一になります。それは根本が置き去りにされているよに感じます。
私も、心理セラピストらしくなのか叱咤激励はあまりしない方かと思います。でも、カウンセラー講座などで教えられている「絶対的肯定」とか「受容」とかを学んだからではありません。叱咤激励がどう上手くいかないか知っているからです。
具体例を知ってゆくこと、出来れば体験が大事だと思います。
昔、メタボが社会問題になったときこんなここがありました。栄養士がカウンセリングして指導します。一週間の食事を記録して、改善を指示されます。甘いドーナツを食べた記録を記録に書いたら、「あなたこのままじゃ病気になりますよ」「他の人はちゃんとしたますよ」と叱られました。
さて、その人は実際に病気になりました。でも、叱咤激励しない医師に出会って回復してゆきました。叱咤激励がうまくいかなかった例です。
多くの人は「叱り方が足りなかった」とか「本人の意志が弱かったからだ」と考えます。そのことが多くの人の回復の機会を奪っています。
甘いドーナツを食べてはいけないこたくらい、本人は知ってるのです。知らないなら教えればよいですが、知っているのに食べたしまうということは、ダメだと教えることは上手くいかないということです。それには何か理由があることが多いです。
栄養士が声を荒げて叱ることで、その人は通所しなくなりました。なぜかというと「あなたはダメだ」という不合格の烙印をもらったからです。食べたくても食べなかった日もあり、以前よりも食生活は改善していました。が、栄養士の期待通りでなかったために、否定されたわけです。そこに通うということは、改善努力をしている生活を否定されるわけです。
やめたくてもやめられないときに出来る小さな一歩に、やってしまっていることを「知っている」というのがあります。記録して報告するのをしばらく続ければ、何か成果があっただろうと思います。
ドーナツを一昨日に食べてしまったといことを覚えていると言うのは、とても重要です。
甘いものを食べてしまった週と、食べなかった週と、たくさん食べてしまう週があるということを「知っている」ということは、とても重要です。
「知っている」が重要です。
「知ること」ではありません。「知ったからには、すぐやめろ」とか「知って、罪悪感を感じろ」ではないのです。それが叱咤激励ですが、それをすると、目を背けざるを得なくなります。先の例では記録を止めてしまって、「知っている」を止めてしまいます。
「知っている」を続けると、出来ることが見えてきます。出来ることは簡単には見つからないと怒る人もいるかもしれませんが、簡単に見つからないからこそ「知っている」という状態が続くことが重要となります。
「甘いものを食べてはいけないことを知っている」よりも、「甘いものを食べてしまった週と、食べなかった週と、たくさん食べてしまう週があるということを知っている」です。