母性と父性

母性

母性というと、安心基地として逃げかえる場所。傷ついたときに、逃げかえることができて、「痛かったね」「こわかったね」とあやしてもらえる場所。

あまやかすというイメージがあるのですが、Kojunが要だと思っていることは「自立を願っている」です。

「よしよし、こわかったね」というのは、「それでも独りで行けるようになるよお」って意味だったりします。体験したことへの、挑戦したことへの「よしよし」=「良し良し」なんだと思います。

「離れるな」ではなくて、離れて傷ついて一時退却してきたことに、よしよし。

父性

父性というと、チャレンジを促す存在。「やってみよう」と励まして、挑戦させる。

厳しくというイメージがあるのですが、Kojunが要だと思っていることは「寛容である」です。

すなわち、「失敗したらオレがなんとかしてやるから、やってみな」ということです。

たいていは逆のイメージがある

たいていは「母性がスポイルして、父性が突き放す」と思われていますが、Kojunは逆の要があるように思っています。

母性は自立を願い、父性は寛容であると。

これは、母子分離ができないケースとか、挑戦ができないパーソナリティのケースとかの事例相談を聞いていても思います。

また、大人の愛着不安定の克服では、疑似的な母親に甘えるイメージワークなどありますが、それはクライアントを無力者扱いすることではなくて、クライアントの自立を信じるワークです。クラアントを依存させることとは異なるポイントについて、そのように思います。

挑戦ができないという心理課題の克服でも、寛容な父性が失われているケースが多いように思います。

たいていは逆だから、心理セラピストに相談するのだと思います。

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