親の世界から、大人の世界へ

Kojunは「裁きから赦しへ」「正すから赦すへ」というお話をよくしています。

罰を与えても上手くいかないことがある。叱っても上手くいかないことがある。いろんな分野でそのことは発見されています。ありのままの自分を受け入れることが必要。

さて、してはいけないことはわかったけど、ではどうすればいいのか? 

「無条件に愛すればいいのですよ」なんてことが言われたりします。

ただ、ご自身のこととして、「自分を赦すということはわかってきました。自分を責めることが弊害だったこともわかります。しかし、どうしたら進めるのか?」というテーマをもっている人も多いでしょう。

自己受容 + ????? → 幸せへ向かって進んでゆける

よく教えられているのは、行動宣言です。「何をするか宣言してください」

それでうまくいかない場合、心理的なブレーキがあります。では、心理セラピーなどでブレーキを外す(ブレーキしっぱなしを解除する)のも選択枝です。

でもね、ブレーキがあるのも、動けない自分も「ありのままの自分」じゃないですか。それを変えろっていうのは、自己受容としてはどうなんでしょうか。

変わりたいけど、変えられたくない。

これについては、インナーアダルトを育てるという観点があります。

人の中には、CP(批判的な親のような自我)とA(大人な自我)という自分があるようです。

※分かり易いのでJohn M. Dusayのエゴグラムの用語を借りています。

自分を責めているのはCPです。目的に向かって行動してゆけるとか、自分を変えてゆくのはAです。

「自制心がある人の方が幸せになる」という研究結果もあるようですが、それはAが育っていることを指していると思うとよいでしょう。この研究をうけて多くの場合「自制心をもちましょう」「やりたくないこともやりましょう」みたいなことを指導したくなるのですが、それはCPを育てようとしてしまっています。

CPは「そんなんじゃだめだぞ」と自分を叱る力のことで、これが強いと動けなくなります。Aは「そうするとこうなる、ああするとああなる」という現実を受け入れる力です。これが自分の意思で動くという力になります。

その段階にある方は、自分をありのままに受け入れたように、現実をありのままに受け入れる挑戦をご検討ください。その準備ができていない段階なら、心理セラピーが役立つかもしれません。

Aを育てるコツは、現実に触れるということがあります。ところが、その意味を理解できる人は多くありません。「現実に触れなきゃダメだろ」「痛い目に遭えばいいんだ」「助けずに、厳しい現実をみせろ」などと、裁きの人たちは叫びます。そのような言葉を何度も聞いたことがあります。それは、言われた当人の、された当人のAを育てずに、CPを育ててしまいます。多くの人は「現実に触れる」とは「痛い目に遭わせる」ことだと思っています。

「レバーを押さないと電気ショックが与えられる。そうすると、ネズミ等はレバーを押すようになる」というような研究があります。それのことだと勘違いしてしまうのです。それは精神医学や自己啓発が間違って取り入れてきたオペラント条件づけの「負の強化」とかいうやつですが、人間の心の問題はそのようなことでは解決しません。インナーアダルトを育てる「現実に触れる」は、それではありません。「現実」とはネズミの実験の電気ショックのような「外からの刺激」のことではありません。

つまり、世間や周囲の人たちには、CPを育てることとAを育てることの違いがわからないのです。ですが、苦しみの当人には、その違いがわかるときがくるでしょう。

親(CP)の世界から、大人(A)の世界へ。

さて、唐突ですが、CPとAの違いのヒントを『進撃の巨人』でみてみましょう。

※そこそこ残虐シーンのある作品なので、苦手な方はご注意ください。

【ネタばれ注意】『進撃の巨人』シーズン1エピソード22の中にこんな場面があります。調査兵団は戦闘で死亡した兵士たちの遺体を運びながら街へと撤退しようとしています。ところが、若い兵士が置き去りになっている友人の遺体を拾いに行こうとします。リーダーは「ほっておけ」と言うのですが、若い兵士は友人の遺体を拾ってきてしまいます。その結果、調査兵団は狂暴な巨人の群れに見つかって追いかけられることになります。そして、追いつかれないために、命からがらたくさんの仲間の遺体を捨てて帰ることになります。

さて、昭和の作品なら、ここでリーダーが「だから言っただろ!」と若い兵士をぶん殴るところなのですが、このリーダーはぶん殴らない。でも若い兵士は現実に触れて学んでいるわけです。

これは厳しい現実の例ですが、見るべきは厳しい現実とは限りません。楽しい現実もあります。

CPではなくAを育てる支援者というのは、現実を見せようとする人ではなくて、いっしょになって現実に向き合ってくれる人、現実に向き合う勇気を与えてくれる人です。

あなたがインナーアダルトを必要としている悩みの当事者なら、罰を与えてあなたを導こうとするCP的な人は、この記事を読んだとしても、やはり「現実を見ろ」とあなたを裁いてくるでしょう。A的な人は「現実を見ろ」とは言ってきません。「現実を見ろ」ではなく「現実を見る」をあなた自身が発見する必要があるのです。

CP的な人はあなたの苦しみを知りません。あなたの苦しみがCPとAの違いを教えてくれるると思います。あなたが幸せになるために現実をみてください。

「エコメンタルな生き方」では、山や海などの「自然」にAを育ててもらうことを検討しています。

「現実」とは「罰」ではなくて「問い」です。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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