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解決像と願い

SFA(ソリューションフォーカスアプローチ)では解決像に注目します。これは、「原因ではなくて解決に注目しましょう」と誤解されているようですが、「解決したときのイメージを具体化しましょう」というのが本質ではないかと思います。だから「解決像」。

解決像はKojunがよく使うWish(願い)という言葉とも似ています。

違いはというと、Wishは叶わぬ願いも含まれるってことです。

たとえば、心理セラピーのなかで「親に愛されたかった」などの言葉が出てくることがあります。これらの言葉が出るには、相当な覚悟を育てる必要があります。それを言ったところで過去は変わりませんから、叶わぬ願いかもしれません。

解決像が明確になると解決に近づくというのとは、ちょっと違いますね。

叶うか叶わないかにかかわらず、自分が本当に望んでいることはそれだという真実を認めるという作業になります。望んでいるけど叶わないというギャップに直面してしまいますから、それはたいへんなことです。

ただ、その真実を認めないならば、「真実の代わりのもの」が必要になります。それは「望んでいない」とか、「高学歴になれたから幸せなのだ」とか。

真実を認めることができたならば・・・という表現は自白っぽくていけませんね。真実を言うことができたならば、「真実の代わりのもの」は役割を終えて去ります。

「愛されたかった」の本当の意味も見えはじめます。そのなかに叶うWishがたくさんあることが見えたりもします。愛されたらどうなるのか、愛されなくてもどうなるのか、少し愛されてたらどうなのか、自分はもう愛することができるのか・・・・理屈を超えた真実の選択肢に開かれます。

そこではじめて、「それでは、どうなりたいですか?」という問いに答えられるようになるわけです。ここから先が解決像です。

SFAは解決像なき解決は迷走すると言っているように思えます。そして、解決像の前に願いをいまここで感じ取る必要があるのでしょう。

叶うWishもあるでしょう。しかし、それを隠そうとするなにかがあるかもしれません。

それらに気づくには、フォーカシングとかゲシュタルト療法とかの気づきのワークが役立つかもしれません。必要に応じて導入される気づきのワークは役に立ちますから、SFAの大きな枠組みのなかにコアな手法をいれてゆくということがよくあります。[1]このように技法を組み合わせることを技法折衷とか統合アプローチといいます。

脚注[+]

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