「恐怖症」の心理セラピー

Kojunのところで取り入れている恐怖症の心理療法(心理セラピー)について。

そもそもそれは「恐怖症」なのか

まず、「〇〇が恐い」が全て恐怖症であるとは見立てません。「見立て」はラベリングのためではなく、悩み解決の手法やアプローチ選ぶために行うのですが、「恐怖症」は認知の修正が有効そうなケースのことを呼んでいます。

それは、ざっくり言うと「本来恐くないはずのものが恐い」というもので、「子犬の写真をみただけで怖い」というようなものは犬恐怖症だったりします。つまり、「恐い」という過剰な学習を解除するみたいな感じになります。

それに対して、暴力被害にあった人や愛着不安定(愛着障害)の人が「人間が恐い」というようなのは、「本来恐くないはずのもの」ではなく、恐くて当然のものなので、恐怖症のセラピーを主軸にしないことが多いです。これらは「トラウマ」として扱います。解決法が違うんですね。

ゴキブリを特別に恐がるのは日本人特有らしい(外国人は素手でつかんで捨てる)ので、これは恐怖症として解消することが可能かもしれません。それで悩んでいないのであれは心理セラピーは不要ですが。

よく、精神医学の教授なんかが、性暴力被害者女性の男性恐怖とか、愛着障害で対人不安の人に曝露法をしているのを相談者から何度か聞きましたが、うーーんと唸ってしまいます。精神医学は「治す・直す」がルーツで、「症状→療法」辞書引きが主流なので、それも一つの方向性なのかもしれませんが。

系統的脱感作法

で、Kojunのところでは、上記の意味で「トラウマでも愛着不安定でもなく恐怖症」と思われる場合は、系統的脱感作という心理療法(心理セラピー)のをお勧めしています。ただし、セッション中にトラウマの側面が現れた場合は臨機応変にトラウマのセラピーに切り替えることがあります。クライアントの様子や状態によって技法を切り替えることをマルチモーダル療法といいます。

で、「系統的脱感作」に話をもどしますと、恐怖対象に徐々に近づいてゆくみたいな方法です。

似たアプローチに「曝露法」というのもあります。(後述)

上記の例でいえば、犬の写真を数メートル先に置いて、ちょっとずつ近づくとかですね。日常生活のなかの行動として実践する方法もあるようです。

失敗例の話でよくある勘違いは、「恐がらせて慣らす」という勘違いです。ショック療法みたいになっちゃってることがあるようです。恐がらせるセラピーではなくて、(近づいても)大丈夫体験をしてもらうセラピーなのです。この勘違い、真逆ですよね。でもよくやられているそうです。

似ているとされる「曝露法」について補足すると、曝露(ばくろ)というのは「さらす」という意味で、恐怖対象に慣らしてゆくみたいな感じです。曝露は「系統的脱感作」の中にも含まれていて、効果のあるその部分に絞ったのが「曝露法」とも聞いたことがあります。

ですが、私はあえて洗練される前の歴史的に旧い「系統的脱感作」の方をベースにしています。手間かもしれないけど丁寧だからです。

実は近づかせてるのではなくて、近づけるようになってる

曝露法は恐怖対象に慣らすというニュアンスですが、Kojunセラピーの脱感作は結果的に近づけるようになってるというニュアンスです。

恐怖症、系統的脱感作法の場合、人間的信頼性に加えてユーモアのあるセラピストを選ぶことをお勧めします。

「脱感作」というくらいですから、その恐さを解除してゆくわけです。曝露法は「近づくことで慣れる」ですが、脱感作法は「恐くなくなるから近づくことができる」となります。

そのため、恐くなくなるためのアイデアをいろいろ出します。なので、クライアントの様子をみてどんどんアイデアを出せるセラピストが向いています。ノリも大事です。ですので、正解を暗記している専門家よりも、芸人さんみたいな人の方が向いているかもしれません。このことは効果を統計データとして測定しにくくしているかもしれません。統計として研究するような人たちはアドリブよりも正解を好む人たちでしょうから。

脱感作のためにいろいろなアイデアを出すというのは、アドリブでイメージワークを続けることです。対人不安とそれ以外で方針がちょっと異なるのですが、「恐くなくす」という要素を積極的に取り入れます。『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の呪文「リディクラス」を習う場面がありますが、ユーモアを使った脱感作による恐怖症克服の心理セラピーをモデルにしているのではないかと思います。ちょっと面白くしすぎかもしれませんが。

中断OK

「クライアントはいつでも中断してよい」というルールで行います。曝露反応妨害法やフラッディング法が退路を断ったりするのとは対照的です。

これは、「恐い理由」というものを丁寧に聴きながら、脱感作(ここでは、大丈夫を自分でつくりだす体験)をしてゆきます。これなら、逃れられない環境の中で刷り込まれた「恐いからこそ無理して近づく」(たとえば、人間が恐いから過剰に近づく)のような問題も扱えます。

間違った認知を修正するとはいえ、その人にはそれなりの理由があります。「恐怖症になった自分」も大切しながら、よい体験をしてもらいたいと思っています。医学モデルのように「症状がなくなる」ことだけを成果とみなしていないからです。

扱ってない技法

なお、恐怖症に限らず、Kojunは原則として次のような技法は採用していません。

曝露反応妨害法などは、「ドアノブが不潔のようで触れられない」「鍵のかけ忘れを何度も確認してしまう」などの脅迫神経症などで実施されているそうです。それならよいかもしれません。Kojunはやってませんが。

ですが、これを対人不安や暴力トラウマのある閉所恐怖の方に適用するのは無茶なのは容易に想像つきます。それをされたという相談はなんどか聞きました。

「仏像がこわい」はどうでしょうか。ちょっと微妙ですね。その人の恐怖がどういうものか測りかねるからです。

また、親から刷り込まれた恐怖なども、慣らすことが困難です。なぜなら恐がっているのは自分ではなくて親だからです。たとえば「人前で笑われるのが死ぬほどこわい」という恐怖は、「自分が笑われたら(心の中の)親が苦しむ」のです。だから、現実世界で「笑われても困らなかった」という体験をしても解決しません。

Kojunは「人の行動を変える」ことを直接目的としたセラピーや、「矯正」に通じるセラピーは苦手としています。そのリスク判断に慣れた専門医や司法にお任せします。

「セラピストの個人的な経験や主観によらず、科学的に効果が示された技法をえらばなくてはらない」という指導があるようですが、私はヤブといわれようと、「矯正」治療で幸せになれなかった自分自身の経験と、「矯正」に苦しめられてきた相談者たちの涙を信じて、矯正治療が苦手なままでいたいと思います。

音声コンテンツ on REC. 「心理セラピーの選び方のヒント(系統的脱感作法)」

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