「広義PTSD」という言葉を使う理由

私のところで扱う虐め被害や性暴力被害のPTSDについて、少し以前から広義PTSDという表記にしています。医学的診断名と区別するためですが、それについてちょっと書いてみます。

※追記 かつてはショックトラウマと呼んでいたのですが、それに戻してもよいかなと思っています。

流行りの症状-診断名-療法選択モデル

まずは精神医学的診断のことを説明します。

精神医学マニュアルでは、症状(原因ではなく現象像)によって診断名をつけます。医師の主観によるところを少なくして診断を統一するというメリットがあります。それは統計のためでもあり、チーム支援で言葉を統一する意味もあります。

診断統計マニュアルDSM-5によると、PTSDは、トラウマ的出来事を体験や目撃、侵入症状(フラッシュバックなど)、回避(とくていのモノや場所を避ける)などのいくつかの基準を満たす(と医師が判断する)ことで診断されます。

そして、診断名から根拠ある療法選択を行うというのが今どきの流行となってきています。それをKojunは「症状-診断名-療法選択モデル」と呼んでいます。(「クックブック」と呼ばれることもあるようです)

根拠ある療法というのは、たとえば米国心理学会の部会が効果研究の成果をとりまとめていますので、一般の方でも簡単に調べることができます。たとえば、PTSDならこんな感じです。

Posttraumatic Stress Disorder | Division 12 of the American Psychological Association

この中でたとえば持続エクスポージャー法(Prolonged Exposure Therapy)が「強い根拠あり」とされています。

 
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ただし、持続エクスポージャー法の権威者によると、その対象は診断基準通りのPTSDとぴったり一致するわけではないそうです(あたりまえですが)。そして、診断統計マニュアルDSM-5にも「特定不能の心的外傷およびストレス因関連障害」というカテゴリーも定められていて、広義PTSDっぽいものが精神医学で無視されているわけではないようです。精神医学の診断名は科学的で厳密な事実とうより、現時点なりによくできた便宜的な基準ということでしょう。
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症状-診断名-療法選択モデルの限界

PTSD当事者の活動家のなかにも「エビデンスのある療法を普及させよう」なんて言っている人もいるのですが、「エビデンスのある療法」にこだわり過ぎないことをお勧めします。厚労省のサイトにも似た結論の記載がありますので後述に引用しておきます。

Kojunが気にしているのは次のようなものです。

診断基準に当てはまるケースに限ったとしても、PTSDといっても様々です。トラウマ的出来事だけでも、交通事故を目撃した、災害にあった、暴力被害(性暴力・虐め)を受けたなどなど、様々です。もともとはシェルショックといって兵士が戦場でうけるものでした。これらの違いは無視してよいものでしょうか?

症状-診断名-療法選択モデルでは、診断名に集約されてしまうので、それらを区別せずに療法を選ぶことになります。

たとえば性暴力被害では、「助けてくれるべき人(たとえば学校の先生)が助けてくれなかった」とか「家族が怒り狂ってくれなかった」とか「抵抗しなかった自分への混乱した思い」などというテーマが、強烈な恐ろしさと悲しみとして関与していることがあります。虐め被害では「あいつら卑怯だ」「俺が悪いのか」「加害者にニコニコしてしまった自分」などのテーマがあります。そこを癒すことがトラウマ克服の鍵であることも多いです。これらはシェルショックや事故目撃トラウマにはありません。

症状-診断名-療法選択モデル至上主義で、シェルショックも性暴力も同じだと思っている専門家もいますが、どうでしょうか?

「骨折」「火傷」であれば、事故なのか暴力なのかによって治療法が変わることはあまりないでしょう。ですが、心の傷はそれとは全く異なります。

本来は心理支援の診断名やラベルは「骨折」のような実体の把握というよりは、作業仮説や参考モデルとして活用するものでしょう。

心理セラピーも教科書通りにならないところからが本番ですしね。

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人工的な実験室や計算によって証明されたとしても、現実の世界に適用されるとは限らないということは知られていて、生態学的妥当性の問題と呼ばれています。ただ、広告などで実験室の白衣スタッフの画像がよく使われているように、多くの人は”科学っぽさ”を盲目的に信じます。

診断名PTSDと広義PTSD

医学的診断をしない在野のセラピストでも昔からPTSDという言葉は使っていました。それは診断統計マニュアルのためにつくられた言葉ではないので。

そして、心理セラピストは人やケースによって異なる個別性を扱うことこそが仕事です。

一方で診断統計マニュアルのPTSDは、診断基準で示される共通の症状等の裏に共通の何か(腫れや痛みの裏にある「骨折」に相当するもの)があるという想定かもしれませんが、あったとしてもそれは個別的側面ではなくて共通的側面です。

あなたが解決したいのはその共通側面や症状でしょうか。

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Kojunが広義PTSDとうい言葉を使うのは診断基準を満たさないけれども同様に扱えるものを含むためでもありますが、個別的側面を扱うよという意味でもあります。

共通的側面は、やはり症状そのものでしょう。フラッシュバックなどをなくすことが当面の目的なら、症状-診断名-療法選択モデルで選択される療法にあたってみるのもよいかもしれません。

Kojunの広義PTSDのセラピーでは、できるだけ個別的側面を扱おうとします。

共通的側面(フラッシュバックなどの症状)は症状-診断名-療法選択モデルで治療し、個別的側面(上述にテーマと呼んだ悲しみや尊厳や怒りや安心感)などは人間性/実存アプローチのセラピーところで癒すなんていう考え方もあるかもしれません。

ですが、それらは繋がっているというか、一体化しているといいうか、表裏のようなところがあります。

ですので、人間性/実存アプローチのKojunのセラピーでも「PTSDではない部分を扱います」という言い方はしにくいく、広義PTSDと呼んでいます。全体として一緒に扱うことになります。そのように要素に分解できないという立場を心理学ではゲシュタルトと言います。

※KojunのPTSDセラピーの中にも持続エクスポージャーに似た部分が含まれています。

ちなみに「エビデンスのある療法」は統計研究がしやすい療法でもあります。すなわち、手順が決まっていて、誰がやっても同じ結果がでやすい療法です。無難で安心ですが、融通はききにくいかもしれません。そのあたりもクライアントの好みがあるかと思います。

何をするか vs 誰とするか

技術か人か? 療法で選ぶか、人で選ぶか? 何をするか、誰とするか?

これは心理セラピストの間でも議論になるテーマです。初心のセラピストは知識や技術が大事なんじゃないかと思う傾向があります。ある研究によると、成功要因は「誰」(関係要因)が30%、「何」(技法要因)が15%だそうです。

症状-診断名-療法選択モデルの限界のもう一つは、「誰とするか」が全く無視されていることです。研究者や臨床心理学者はそこになかなか気づきませんが、当事者にとっては大事かもしれません。

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※厚労省なので医師と公認心理師オシになっていますね(笑)

最初のアクセスは在野セラピストや当事者団体の人もありだと思います。

 
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余談ですが。文科省の学校内での健康相談に関する文書で、中学生の性暴力被害について、担任や精神科医などが連携して支援を継続して上手くいったという事例が掲載されています。それは良い事例なのだと思いますが、私は本人による報告(それを求めるものではないですが)、本人の言葉を読まない限り納得しません。10年後に大人になってから私のところに来るクライアントたちによると、支援を受ける過程が暴力であることは多く、支援者はそれに気づかない。事例にある「上手くいった」というのは支援者の仕事が上手くいったということだと思います。本人にとってはどうだったのでしょうか。もしも本人が報告を書いたなら、PTSDなどを防いだだとしても「上手くいった」という言葉でしめくくるとは思えない気がします。

このような話をすると、心理専門家の先生たちは、ポカーンとなって話を逸らします。

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