心理支援は統計的な効果検証であるエビデンスに基づくものでなければならないというのが流行しています。
あちこちの職場や家庭でも「エビデンスはあるんですか?」と言うのが流行ったそうですが、違和感を感じます。
エビデンスがあることを後押しに使うのではなくて、エビデンスがないことを人を黙らせたり、なにかを止めさせるための使っているからです。
私は次のように思います。
(A)「エビデンスがある方法は何らかの意味で期待がもてる」 ⇒YES
(B)「エビデンスのない方法は撲滅すべきである」 ⇒NO
これはエビデンスベースアプローチの本来の態度だと思うのですが、一方で「エビデンスのないものは撲滅すべき」が流行っています。それはマイノリティの撲滅の再来につながるものと懸念します。
科学主義のエビデンスは「人」を無視して「数字」をみる
それぞれの心理療法を複数の人に試して、効果が次のような結果だったとします。
心理療法1 | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × |
心理療法2 | ○ | ○ | ○ | × | × | × |
心理療法3 | ○ | ○ | × | × | × | × |
どれもしない | ○ | ○ | × | × | × | × |
この結果から、効果が実証された心理療法1を選ぶというのが「エビデンスに基づく」ということだと説明されることがあります。
納得いくでしょうか?
これは当事者の実感に合わないことがあります。当事者は自分と他人を区別しているからです。
これをAさん、Bさん、Cさん・・・・とう当事者の視点で見てみましょう。
科学主義の心理専門家は次のようなことをなんとなくイメージしているのではないでしょうか。
世界観Ⅰ
心理療法1 | A○ | B○ | C○ | D○ | E× | F× |
心理療法2 | A○ | B○ | C○ | D× | E× | F× |
心理療法3 | A○ | B○ | C× | D× | E× | F× |
どれもしない | A○ | B○ | C× | D× | E× | F× |
「効果の高い心理療法1で助からない人は、効果の低い心理療法2や3ではなおさら助からない」
「心理療法3は自然治癒と同じ改善率なので、なくすべきだ」
ところが、事実はこうかもしれません。
世界観Ⅱ
心理療法1 | A○ | B○ | C○ | D○ | E× | F× |
心理療法2 | A○ | B○ | C× | D× | E× | F○ |
心理療法3 | A× | B× | C× | D× | E○ | F○ |
どれもしない | A○ | B○ | C× | D× | E× | F× |
「心理療法2は心理療法1が効かないFさんのような人を助ける」
「心理療法3は自然治癒する人には大きなお世話だが、心理療法1、2が効かないEさ、Fさんのような人を助ける」
つまり、Eさんにとっては心理療法3が必要です。
在野にたどりつくクライアントには「いろんな支援を渡り歩いてきましたが、やっと自分の助けになる支援に出会えました」と言う人たちがいます。それはEさんのような人がの存在を示唆するものだと思います。
これは、症状や疾患の種類ごとに分けて統計をとればよいというものではありません。「○○疾患には○○療法が効く」というように細分化しても世界観Ⅰになるとは限りません。見立てや診断を細分化しすぎることの弊害もあるでしょう。
世界観Ⅰ(科学主義)は、人ではなくて数字を見ています。
世界観Ⅱは、数字ではなくて人を見ています。
行政施策については、数字の成果を目指すマクロなことが中心となるので、仕方ない面もあります。エビデンスがなきことが予算がつかない理由になるのは世界観Ⅰとは別のことです。
科学主義的なエビデンスは支援者が効率よく手柄をたてるためのもの
つまり、エビデンス・科学主義というのは支援者側が効率よく成果を上げるためのという側面がありそうです。
クライアントの悩みが長期化している場合には、クライアントの望みと支援者の「効率的に手柄を立てる」というニーズとは一致しないことがあります。
価値・状況・エビデンスに基づくアプローチ
本来のエビデンス・ベース・アプローチは「本人の価値観」「臨床の状況」「エビデンス」の3つを考慮するものと定義されています。ですが、エビデンスペースという名称を使っているかぎり、世界観Iの呪縛は解けないでしょう。
世界観IIは、「本人の価値観」「臨床の状況」を考慮するものですが、これはジェネラリストでないと捉えることができないもので、がり勉の専門家が不得意なところでしょう。
「本人の価値観」というのは、たとえば性暴力被害者のクライアントが症状を消すことよりも、治療プロセスの中で尊厳を取り戻すことを重視しているなどです。家族システムの葛藤を扱う場合にも、疾患を治すという発想では幸せにならないことが多いです。
「臨床の状況」というのは、Fさんのように、一般的な支援が上手くいかなかったというような経緯などが含まれます。
玉石混交も包括的適応には必要
また、心理支援業界の進歩のためにも、エビデンスを淘汰に用いてはいけないと思います。エビデンスのない方法、さらには効果のない方法というものを実は必要だと思います。
包括的適応が必要だと思います。
「子孫を残さないセクシャルマイノリティも人類の存続に必要である」とか「障害も多様性の確保を通して人類の存続に貢献しているかもしれない」というような視点も含めて多面的に物事を捉える能力こそが心理支援に求められると思います。
私はどちらかというと「本人の価値観」「臨床の状況」「エビデンス」の順に優先します。
闇の本質
エビデンスは本来は
「効果のありそうな療法を見つけやすくするため」
なのですが、憎しみによって目的を見失うと、
「効果のない療法を撲滅するため」
にすり変わってしまいます。
自然科学の科学者の講演を聞いていると、科学的でないものを否定している科学者はいないように思います。
「心理学は科学だ」とか、「心理臨床家は科学者であるべき」というなら、エビデンスのないものを否定してはいけないと思います。