人が死ぬとき後悔すること~「”心の病は薬で治せる”/”薬はやめろ”を信じてしまった」編

人の死に立ち会うお仕事の方々が、人が死ぬときに後悔することを挙げていらっしゃいます。それらに影響する心理課題について書いてみます。

お医者さんの書いた本には、医療・治療に関することも多いですね。今回は、後述の参考文献から、薬に関する「信じてしまった」後悔について。

「薬で心の病が治せると思ってしまった」という後悔。逆に、「薬はやめろ」というサプリメント業者、ヒーラーなどを信じてしまったという後悔もあるそうです。

「薬で治せる」も、「薬はやめろ」も後悔になることがあるということですね。

このあたりについて、私が経験的に知っていることを書いてみます。

※薬については、私は医師ではないので、個人の経験による私見であることを断っておきます。

まず、抗うつ剤などは、症状を抑えるもので、心の病の原因を解消するものではないと理解しています。症状を抑えて楽になることで、回復力が発揮されるというようなことはあるでしょう。私がお世話になったことのある医師は「薬はギブスのようなもの」と言っていました。骨折が治るまでギブスで守るというイメージでしょうか。

薬の効果についてですが、医師によって処方が全く違うということを知っておいてよろしいかと思います。同じ症状を訴えても、まったく違った薬が処方されます。私の印象ですと、ウツなどに関する薬の処方は職人芸のようなところがあります。一概に薬は役立つとか、役立たないとか言うことはできないように思います。ある医師の処方では数年間なにも改善しなかったけど、別の医師の処方になってからずいぶんと楽になったという話は何件か聞いています。

いろいろな医師にかかって良くなってきた人のお話ですと、いずれは薬は減らしてゆくという考えのもと現在必要な薬を処方してくれる医師の評判がよいようです。ただ、病気によっては、今のところ悪化を防ぐことしかできないというものをありますので、素人判断は禁物です。セカンドオピニオンというものがあります。

「薬で治せると信じてしまった」という後悔については、つまり、生き方、深層心理を変えなければ、症状だけに対処してもなかなか幸せにはならないということを言っているのではないかと思います。

不動産投資家のロバートキヨサキの金言、「信じるな、疑うな、確かめろ」がよろしいのではないでしょうか。絶対と決めつけずに、柔軟に情報を増やしてゆくというものです。人に会うこと、「西洋医学は・・・」「代替療法は・・・」という信念よりも体験を重視することをお勧めします。

それらの信念の裏に何かの情緒が隠れていないか探りましょう。もし、分かってはいるけど変えられない信念というのがあれば心理セラピーが役に立つかもしれません。何かに囚われている感じがしたら、心理カウンセリングもよろしいかと思います。

参考文献

医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト

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