「あるがまま」という態度の技術には2種類あるように思います。
変えようとしない
これは「あるがままを受け容れる」というような表現で使われる意味です。
それは変えようとしない、または変え急がないという意味ですね。
実践練習としては、自分が変えようとしていることに気づいてみるとこが含まれるでしょう。
何かをしないという実践は難しいので、変えるの以外の対処法を考えるという能動に置き換えてみてもよいかもしれません。
心理セラピスト探しの観点では、ご自身が変えてほしいこと、変えてほしいわけではないことを自覚するとよいかと思います。
ジャッジしない
これは「あるがままを観る」というような表現で使われる意味です。
心理セラピーはこちらの実践が前庭となります。
ジャッジというのは善し悪しの判断のことで、「判断しない」とか「評価しない」などとも表現されます。
しかし、判断や評価を禁止することは、本質ではなく、形骸化したルールに過ぎないように思います。
ジャッジしない、あるがままを観るとは、言葉に解釈を追加しないという実践とすれば練習しやすいかと思います。
追加しないというのは、たとえば「あいつはイヤなやつだ」と言った(あるいは思った)ときに、自動的に「挨拶するもんか」を付け加えないということです。
「あいつはイヤなやつだ、けど挨拶はする」もあり得るわけです。
で、これを聞いて「嫌いなやつにも挨拶しろと言ってるんだな」とあなたが思ったとしたら、それも解釈の付け加えです。そんなことは言っていません。
解釈を付け加えると、選択肢が減ったり、視点が減ったりして、視野狭窄が起きちゃうのです。
イヤなやつだという判断を禁止するというよりは、それはそれとして、それ以上付け加えないということです。
とくにありがちで問題なのは、善し悪しの付け加えです。
例1:たとえば「あなたにはそのような癖がありそうですね」と言われた(もしくは自分で気づいた)ときに、「だから悪い」を自動的に付け加えないようにします。
「私が悪いって言うんですか!」と腹が立つのは「だから悪い」が追加されているからかもしれません。
※理解されなくて腹が立つのは別のことかもしれませんが。
この場合の「あるがまま」は、癖がある(癖があるかもしれない)ということを善し悪し抜きに眺めるということです。
例2:たとえば「謝るという選択肢もありますね」と言われた(もしくは自分で気づいた)ときに、「それが善い」「そうすべきだ」を自動的に付け加えないようにします。
「謝るという選択肢はない!」と反発したくなるのは、「そうすべきだ」が追加されているからです。
この場合の「あるがまま」は、謝るかどうかはともかくとして、謝るという選択肢があるということを眺めます。
それによって、なぜ謝りたくないかとか、謝らないことによる代償が理解できて、謝らない覚悟ができることもあります。
「謝るという選択肢もありますね」の先にあるのは「謝るべきだ」とは限らないのです。
謝る選択肢を直視できない人は、謝らない選択も上手くできなかったりします。
ですが、人間にとって善し悪しの判断を保留することは難しいことです。瞬時に善し悪し判断することで種は生き延びたのでしょう。
というわけで一般の世間は善し悪しを解釈してきちゃいます。ですので、ご自身で独りワークする時間を作るか、善し悪しに拘りのないセラピストなどとワークする必要がある場合もあります。