私たちの「存在」は、それぞれ何を担当しているのかな

Facebooktwittergoogle_plus

「報道でLGBTQを持ち上げすぎると、生殖が減って、人類の存続をおびやかすのでは」という弁を聞きました。

まあ、全員で生殖を担当しなくても人類存続は大丈夫だと思いますが(笑)。ちなみに、子育てをしているLGBTQはいます。私の小学生時代の同級生にはお母さんが2人いました。子供つくっている人もいます。(人を育てるのも生殖本能という説もあるようです)

それはともかく、ふと、全ての人が生殖を担当しなくていいなら、私たちそれぞれ何を担当しているのかな? という想いが浮かびました。

何かを担当しているような感じがするのです。使命とかいうようなタスクではなく。

私が「存在」と呼んでいるものかも。

ところで、心理療法の用語にも「存在」というのがあります。「存在(そんざい)」と「生存(せいぞん)」の区別ができていないセラピストもいます。希死念慮を扱うときは、区別できているセラピストを選びましょう。「死にたい」と「消えたい」の違い(表面的な言葉はともかく)です。

マクベスの「生きるべきか、死ぬべきか」は、”To be or not to be”ですから、「存在」ですね。

 
心理的な相談をしたい方は、個人セッションをご検討ください。⇒サービス案内
 
自分に嘘をつかない生き方のメール講座はこちら。⇒無料購読
 
ブログ更新をメールでお知らせ→

Facebooktwittergoogle_plus

雑談
ルールを破るには光が必要

ルールを知らないのと、 ルールを破るのはだいぶ違います。ルールを知らないと闇の支配を受けます。つまり …

感情知能
私のセラピスト観を神話風に

私のセラピスト観を神話風に書いてみます。・・・一度も自分を生きたことがない人が、道徳だの倫理だの言っ …

心理療法セラピー関連
セラピストのトレーニング会で受ける衝撃

今回の記事は愚痴になります。愚痴ですが、私らしさでもあるので、書いてみようと思います。セラピストのた …