家族システム vs 親子関係

Kojunは家族カウンセリングはしていないですが、家族を扱うカウンセリングは多いです。

個人内葛藤として扱うわけですが、家族システム論の方々が誤解しているほど、家族システムを無視しているわけではありません。

関係性を扱う家族カウンセリング

家族システム論には円環的因果律という考えがあります。たとえば夫婦なら、夫の言動が妻へ影響し、妻の言動が夫へ影響し、いわゆる「卵と鶏」のように、どちらか一方のみを原因と呼べないような因果関係が生じているという見方です。

で、家族療法のカウンセラーがおっしゃるには、悪循環の円環的因果律を解消してゆくのが方略のひとつだそうです。

悪循環というのはたいてい相手を変えようとしているわけですが、家族療法では関係性を変えるのだそうです。

Kojunのクライアントは相手を変えようとはしていない人が主ですから、自分の中の何かを変えようとしています。その結果として関係性や相手が変わることは大いにあり得るのですが、心理セラピーではご自身の中にあるものを扱います。

関係性を変えてゆくカウンセリングは夫婦関係のような場合に有効だろうと想像します。ある家族カウンセリングが得意なカウンセラーの方も夫婦関係を扱うことが多いと言っていました。

親子関係の場合はKojunは異なる意見

なるほどーと思うのですが、さて、親子関係の場合はどうかというと、私は事情が事情が異なると思っています。とくに若い子供の場合ですね。

「家族システム論」というような抽象度で、夫婦関係のカウンセリングの成功を親子関係に拡張するのはどうかと思います。

親へのカウンセリングとして関係性を変える家族システムアプローチはよいと思います。

問題は子供側がクライアントの場合です。

若い子供に関係性を変えてゆく実践というのはとてもハードルが高いように思います。いったん親を離れて、愛や味方との出会いを十分に経験して成長してからチャレンジすることになるのではないかと思うのです。

Kojunのクライアントはそんな子供が30~40歳くらいになって、いったん親から心理的に自由になるためのワークをします。それはとてつもないチャレンジとなります。関係性を変えるというのは、それよりもさらに成長が要求されるものですので、若い子供に関係性を変えてゆく実践をお勧めはしないと思います。

よい家族カウンセラーに出会えばそれが可能なのかもしれませんが、にわかには信じられません。かなり心を成長させたり、よい出会いを重ねてこられた中年の方でも、やっとたどり着く境地なのですから。

ヤング・ケアラーになる危険性

もうひとつ心配なことがあります。

カウンセラーの助けを借りて、関係性を変えて、円環的因果律を解消すれば、すばらしい成果のように見えますが・・・・

仮に子供側から親子の関係性を変える実践が成功したとしても、それは心理的ヤング・ケアラーになってしまうのではないかということです。

すなわち、若い子供というのは面倒を見てもらう側の体験が十分に必要で、その体験が失われることを心理的ヤング・ケアラーと呼んでいます。

「子が親に迷惑をかけて、親が子(もしくは親子関係)の面倒をみる」という非対称性が逆流するとき、虐待、ニグレクトにも似た生きづらさが残ります。

本来であれば、親子の関係性を改善するのは親の役割です。子供の努力によってそれを成し遂げるのは、心理的に子が親の面倒をみているケースとなり、子は生きづらさを背負うことになるのではないかと思うのです。

ですので、せめて親子双方から関係性を変えてゆく、親子同時カウンセリングなら想像できます。

親へのカウンセリングとして関係性を変える家族システムアプローチも想像できます。

子へのカウンセリングとして関係性を変えてゆく提案は、私はしないな・・・・

子がかなり若いような場合、たとえば18歳男子とか。であれば、どうでしょうか。親から心理的に自由になる心理セラピーもちょっと早いかもしれません。30~40代になって準備ができる人も多いですから。まして、子の方から関係性を変えるなんて・・・親が少し老いてからかもしれません。

子が中年以降の場合は、子の力で親子関係性を変えてゆくケースは私も見たことがあります。ですが、子が中年以降の場合でも、関係性変容にチャレンジする前に、ヤング・ケアラー化の部分をしっかいり癒しておく必要があるかと思います。「親との心理的な別れ」をしっかり体験したうえで、「親と心理的に再会」しないと、永遠のヤング・ケアラーみたいになってしまうように思います。

そしてこの「親との心理的な別れ」は関係性ではなくて、個人の中の葛藤を扱う心理セラピーとなります。

クライアントが若い場合

親から心理的に自由になるっていうのは、家を出るぞーとかいうことに象徴されるかもしれませんし、親のいいなりにならないぞと決心することかもしれません。ちょっと反抗的な態度にみえるかもしれませんが、その人の言葉をちゃんと聴くと、かんしゃく的な反抗的というよりはしっかり落ち着いた強さを感じることもあります。

18歳・・・、いったん親を心理的に離れること、できるかもしれません。日本の社会的には高校・大学みたいなのがあり厄介ですが、必要ならできるかもしれません。

ちなみに日本の古来の成人儀式である元服は11~16歳くらいだそうです。オーストラリア先住民アボリジニの成人儀礼ウォークアバウトは10~16歳。日本の社会の仕組みのことはともかく、できなくはないような気もしてきます。

ところで、バンジージャンプの元になった成人儀礼バヌアツは、年齢は決まってなくて、準備できたらやるんだそうです。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

\(^o^)/

- protected -