私が心理セラピストをしている動機

心理職をする動機として、「感謝されたい」「人を助ける自分になりたい」「人の役に立ちたい」というようなのは、あまりよくないと言われます。わかります。

たしかに、「あなたを助けることで私は価値のある人間になるのだ」って思っている心理職に出会うと、相談できないことってあります。

「助ける側の人間に価値がある」っていうホンネもちょっとこわいです。

ところで、私が心理セラピストである動機はなんだろうな・・・

「ガンマンってのはなあ・・・職業じゃねえ。生き方なんだ」

次元大介(ルパン三世 Part6)

心の成長に立ち会いたい

この動機は、ちょっとあります。励みといいますか。

「心の成長」というのは、「世間が求める成長」とは真逆であることが多く、ありのままの自分を許して現実を楽しむようになるといっ感じでしょうか。

「克服」や「ゆるめること」であることが多いです。人生の後半に向けて「頑張り方」を変えたり、Post Trauma Growth のことだったり、自分を赦したり、置き去りにされた自分を救済したりです。

ただ、これが動機だと、心の成長を望まないクライアントとは相性がわるいかもしれません。

私の心理セラピー業ではクライアントはご自身の意思で申し込んでこられるし、「主体的な方に向いてますよ」と説明しているので、まったく成長しないクライアントというのはあまり来ないです。

たとえセラピーが上手くいかなかった場合でも、ちゃっかり成長してるって感じです。

天命のようなものを感じる

「私にしかできないカウンセリング、私じゃないと救えない人がいるから」というのは、セラピストの傲慢な動機としてよく挙げられます。「私じゃないと救えない」というのは、たしかにアヤシイ感じがします。

ですが、クライアントから「あなたじゃないとイヤです」「私はあなたを選んだのです」と言われることはあります。

20年以上も誰にも言えなかった悩みを言いにくる人、何十人もの支援者に会ったけど分かってもらえなかった人、などは来ます。

「私にしかできない」は言い過ぎだとしても、「私のような人にしかできない」カウンセリングは実際にあると思います。クライアントが一人ひとり異なるように、セラピストも一人ひとり異なると思います。

心理セラピストになりたいと思った動機というよりは、心理セラピストであることをやめない理由かもしれません。

これまでに何人かの人に「セラピストをやめないでくださいね」と言われてきました。

なぜやめてほしくないのかと訊けば、「必要とする人がいるから」「伝えることがあるでしょ」と言われました。

向いているとかいうよりも、天命のようなものを感じます。

松明を引き継いでいるような感覚

生きている間にやりたいこと、使命がこれです。

これは上述の「伝えることがあるでしょ」と言われることと重なるかと思います。

松明を引き継いでいるような感覚。

私がある克服体験をしたときに、ある師匠が言ったんですよね。「誰の力で克服したかわかりますか。あなた自身ですよ」って。

つまり、支援者のおかげではなくて、自分自身のおかげだと。

これは支援者が「感謝されたい」「役に立ちたい」という動機とは、逆な感じですね。

なので、私のところには、「助けられたい」というよりは「助かりたい」が来ます。

助けを求めてくるのですが、治療されることを求めていないというか。

その師匠がどういう意図でそんなことを言ったのかわかりませんが、「あなたがカウンセラー/セラピストになったときに相談にくるクライアントたちは、あなたの力ではなくてご自身の力で克服するのですよ」みたいな意味を感じています。

その言葉がそういう意図だったかはわからないのですが、この「助けられたわけではないけど、なにか大切ななにかを貰った感じ」というのを人へ伝えたいと思うのです。松明の火を消さないように。

その貰った大切ななにかは、返すことができないんですよね。謝礼を払ったり、お礼を言ったりはできますが、貰ったそれは次へ送ることしか意味がないんですね。

そして、それを求めている人たちがいる。少ないかもしれないけど。

それは克服体験をした人にしかわからないなにかでして、心理学の知識とか心理療法のメソッドとかではない、人の存在の連鎖とでもいうものだと思うのです。

となると、相性のよいクライアントというのは限られてくると思います。それでよいと思っています。

正しいカウンセラーを大量生産すうりょりも、多様なカウンセラーがいたほうがよいんじゃないかしら。クライアントのニーズもいろいろです。

そして、この松明は私がセラピストになる前に貰えたのが貴重でした。セラピストになってから松明を貰うのとまったく違います。私は松明を貰わなかったら、セラピストにならなかったでしょうから。

セラピストになる前に松明をもらうというのは、先だってクライアント体験や苦しみの克服体験があるってことです。ですので、人生の初期から心理の専門家ではなかったというのが重要になってきます。

低学歴のセラピストを「心理学部出身でない自称心理セラピスト」と呼んで否定する高学歴のセラピストがいますが、真逆の世界観だと思います。

だから私は昔ながらの、生き様がいっぱいつまった私設心理相談室が好きです。

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