心理療法とエビデンス(1)「多くの人に効果がある」と「私に効果がある」は異なる

「エビデンス[1]「エビデンス」というのは生物医学や薬物療法から流用された言葉で、「効果がある証拠」のような意味ですね。のある心理療法」というような言葉が流行しています。

「エビデンスがある」と聞くと効果が保証されている、あやしくないように聞こえます。「エビデンスがない」と聞くと効果がなさそう、あやしそうに聞こえます。

それは思考停止させる言葉のマジックかもしれません。

実際にはエビデンスはあっても効果はなかったという例は多々あります。

なんとか心理メソッド協会の宣伝文を見ると、ダイエットサプリの宣伝を思い出します。「効果が科学的に証明されています。医師も推薦。芸能人も御用達!」みたいな。

「エビデンスのない手法を撲滅しよう」みたいなエビデンス警察もいるようです。

はたして、「エビデンスがある」=「効果がある」でしょうか?

実際に「エビデンスがある手法とやらを試したけど、効果がなかった」というお悩み当事者はたくさんいます。

なぜそんなことが起きるのか考えてみましょう。

なぜこんな話をするのか?

なぜこの話題に拘るかというと、「○○疾患は○○法でなおる」と言われて、効果を得なかった人たちが、「私の○○はなおらないんだ」とと諦めたり、「私の〇〇は仮病みたいなものだ」と自身を責めてる人を見てきたからです。

実証データが多いとされる「認知行動療法」でも効果がある人は60%くらいだそうです。効果がない人たちもたくさんいます。

私も数十人の気分障害(主にウツ病)の人たちと一緒に過ごした時期があります。そのとき聞いた生の声でも、やはり効果があった(やってよかった)という人は半分くらいでした。(多くの場合、家族関係、仕事、トラウマ、愛着などに深刻な事情をかかえていましたので、いま思えば当然です)

また、「科学的だけど効果がない」みたいな話も多く、そろそろ「科学的」と言われるとなんでも信じるみたいなのを卒業した方がよいのかなとも思います。

「多くの人に効果がある」と「私に効果がある」は異なる

エビデンスがあったとしても、全ての人に効果があるわけではないです。「エビデンスのある心理療法」を受けて、効果がぜんぜんなかったという話は珍しくありません。

たとえば「60%の人に効果があった」などと言う場合、残り40%の人には効果がないわけです。全ての人に効果があると言っているわけではありません。

あなたがトラウマなどに悩まされていたとして、自分が効果ない40%側の一人だった場合、あなたが探すべき次の療法は「70%の人に効果がある療法」でしょうか?

あなたに必要なのは、「多くの人に効果がある療法」ではなくて、「自分に効果のある療法」です。

たとえ10%の人にしか効果がない方法でも、それが自分に効果があるのであれば、それがあなたが探しているものです。

研究者や行政は「より多くの人に効果のある療法」を見つけて喜ぶでしょうが。

私は多様な療法や支援が必要なのだと思います。

「科学的」というより「統計的」にすぎない

心理学の世界で「科学的に証明された」というのは、ほとんどの場合、統計的に有意差が「検定された」ことを指しています。あるいは効果の比率が推定さたといいうことです。

それは自然科学の「化学反応の法則」とか「重力の法則」ほどの再現性はありません。また、顕微鏡、解剖、天体望遠鏡などによって確かめた事実とも意味が違います。

臨床心理の世界で「実証された」「エビデンスがある」「科学的」と言っているのは最上位のエビデンスレベル1ですら「統計」のことであって、「1気圧で水の沸点は100度」というような物理化学の法則にははるかに劣るものです。(帰納的側面)

さらに、臨床心理の世界で「だから、この手法があなたにも有効でしょう」と推測する再現性は、「電子レンジで食品が温まる」とか「レントゲン写真で骨折していることが判る」とかいう物理化学的な再現性よりもはるかに劣ります。(演繹的側面)

心理の世界で「科学的に証明された」という言葉を使うことは、ちょっと似非科学っぽさがあります。

一般的な「科学的」と違って、メカニズムは解明されていない

メカニズムの解明を捨てることによって科学になろうとする心理学、そこでいうエビデンスはたいてい統計的に確認された経験則に過ぎません。

「電子レンジで食品が温まる」というのは、実験検証で食品が温まっただけではなく、そのメカニズムまで解明されています。H2Oの分子には電荷の偏りがあり、電磁波によって揺さぶることができるため、水分を含む食品は電子レンジで温めることができるわけです。水だけの実験できますし、電磁場が電荷を動かすことも証明されています。要素に分解され、メカニズムを構成する理論も実験実証されています。

心理の世界の「科学的」はメカニズムが解明されていないものが多いです。理論モデルはあっても構成要素に分解できないので、経験則を大規模に調査したに過ぎません。

お薬については、物理化学的なメカニズム(機序)が(最近は)解明されていて、さらに統計的な試験していますので、科学的だと思います。そこまでわかれば万能でないこともわかりやすいです。

たとえば認知の歪みを修正する認知行動療法はウツ病に効果があると統計研究されています(エビデンスがある)が、その手順の中には「自分の感情を振返る」部分が含まれています。じつは「自分の感情を振返る」ことがウツ病に効果があるのであって、認知の歪みの修正は効果とあまり関係ないかもしれません。

昔、青色絵の具をつくる釜で大きな音を立ててかき混ぜると鮮明な青色が出来ると言われていたそうです。しかし、後に、それは釜が削れて鉄の成分が混ざるからだと解りました。そこまで分れば「科学的」だと思いますが、大きな音を立てると発色がよくなるというのはメカニズムが解明されていない経験則です。

療法の「科学に基づく」という売り文句は、たいていメカニズムが解明されたという意味ではなくて、統計的に有意差を確認したという意味です。

統計ではマイノリティが排除される

統計的な研究は何がマジョリティかを示しているにすぎないこともあるでしょう。

マクロな目的の場合は、統計的に扱うことに意味があるでしょう。たとえば、コロナ発症の人数を減らすことで医療負担を防ぐことが目的なら「少数ではなく多くの人に効果のあるワクチン」を選択することに意味があります。生活保護者の数が経済を圧迫しないためにトラウマの治療をするのであれば、「多くの人に効果のある治療法」に予算を投入することに意味があるでしょう。地球環境の保護などもそうです。目的が個人の救済というよりも社会の負担、合計としての成果だからです。

しかし、一人ひとりの個々の支援というミクロな目的の場合、統計に従って判断することは、「帰納して一般化した知識を、演繹で個々に戻す」ということになります。マイノリティを無視するマジョリティ指向のアプローチとなります。「多くの人がこうなんだから、あなたもこうでしょう」というように個別性をつぶす作業になります。

「エビデンスのある心理療法」というのは、マクロな目的の心理療法ですよという意味になります。マイノリティを見捨てて効率よく感謝されるにはよいでしょう。

臨床心理の分野で尊敬されている河合隼雄先生も個別性こそが心理支援の本質というようにおっしゃっています。

エビデンシャリズムは白黒思考、べき思考、完璧主義などの認知の歪みが含まれるように思います。

物理化学の統計誤差は無視するべきノイズによるものですが、心理に関する統計的誤差は注目すべき個性であり、お悩みの本質です。

効果の基準は?

心理療法の効果についてはどのような基準で判断されるのかも曖昧です。「これはエビデンスのある心理療法です」と言っただけでは、「セラピストがベテランかどうかに関わらず効果がある」なのか、「症状が治るだけでなく、幸せになります」なのか、「予後まで含めてのこと(効果が持続する)を含む」なのか、「完全に解決してはいないが、重要な一歩になったも含む」のか、それぞれの研究論文までみてみないと基準がわからないわけです。ユーザーにとっては口コミ情報と同じくらいの参考にしかならないと思います。

身体を対象として物理化学的に働きかける外科、内科、薬物療法などについてはこのような問題は大きくないかもしれませんが、心を対象とするものについては異なる評価概念が必要でしょう。

統計研究は研究者の思想に依存する

統計研究とうのは、研究者が証明しようと努力したことしか証明されません。研究者にとって都合のわるい命題は検証される機会がありません。たとえば、「心理学の学位取得者をした者よりも、社会人経験のある者がカウンセリングをした方が効果がある」などという命題は、実験の仕方次第でYESともNOとも出そうですが、このような専門家の価値を否定すような命題を専門家が熱心に立証研究することはないでしょう。されたとしてもすぐに反証すべき批判研究が熱心にされるでしょう。

つまり、統計研究は物理学のような「真理の探求」ではなく、イデオロギーなどの意図をもってなされるものです。たとえば、認知行動療法のエビデンスが早くできたのは、保険適用して普及させようという意志をもった方がいて努力されたからです。

工場の生産性を上げる技術の研究の場合、生産性の高い技術が関心を集めることはあっても、生産性の低い技術が叩かれるということはあまりありません。目的が本当に生産性だからです。

それに対して、エビデンシャリズムではエビデンスがあるものが関心を集めるというよりも、エビデンスがないものを目の敵にします。本当の目的が治療効果の探求ではなくて、イデオロギーや商品の宣伝だからでしょう。

統計が示すのは因果関係とは限らない

統計的に証明されるのは因果関係ではありません。

たとえば「認知行動療法が効果があった」という事例の報告を聞いていると、それは認知行動療法の効果ではなくて、それを担当した心理士やカウンセラーが親身になって安全な場を提供してくれたから改善しているんじゃないかと思われるケースが多々あります。カウンセラーの支持的態度(治療関係要因)によって改善するというのは、認知行動療法に限ったことではないのですが、認知行動療法は手順が標準化されているので統計的エビデンスに繋がりやすいわけです。すなわち、認知行動療法に効果があるケースがあることは示せても、他のエビデンス不足の手法より認知行動療法が優れているとは示せていないのです。(測定しやすいという意味で優れているんですね)

愛着安定化プログラムで認知行動療法が取り入れている著名な医師も「ファシリテートする人物が大事で認知行動療法は作業名目にすぎない。心理士よりも素人の方がいい場合もある」というようなことを言っています。

つまり、手法は支援者と会うためのきっかけや口実として機能しているだけのことも多いのです。なので、効果があるとしても、やることはそれ以外の対話でもよいかもしれないわけです。(Lambertの研究によると、療法の効果の治療関係要因は30%、技法要因は15%です)

誰にどんな効果が?

また、「効果があった」というのは何を指しているのかも知る必要があると思います。たとえば、PTSDに効果があったというのは、悪夢をみなくなったのか、フリーズしなくなったのか、人がこわく感じなくなったのか、人生に前向きになれた(Post Trauma Growth)のか。エビデンス検証というのは諸症状ひっくるめてアンケート測定することが多いそうです。

効果とはなんでしょうか?

たとえば軽度の多動症の子供に対して、「授業中に席を立つと、強烈な恐怖を伴う罰を与える」という療法はどうでしょうか? 科学的に検証すると「効果がある」と出るでしょう。実際に罰のオペランド条件付を用いた手法は教育分野などにあります。もっと言えば、「足を椅子に縛りつける」という方法はどうでしょうか? これも実際に行われていました。なぜそんなことが行われるのか? 「効果がある」からです。

「精神病の人の脳梁切断(ロボトミー)手術をすると問題行動がなくなる」という治療法はどうでしょうか? 科学的に検証すると「効果がある」と出るでしょう。そして実際に行われていました。

また、「誰に」効果があったのでしょうか? PTSDといっても、災害被害と暴力被害では性質が異なっているかもしれません。様々なケースに効果がある手法がエビデンス検証されやすいということになるでしょう。逆にいうと、個々の違いを丁寧に扱う手法はエビデンス検証されにくいと思います。

トラウマも○○症も多くの人の体験の総称であって、実はひとりひとり異なるものです。来談者(クライアント)が何を望んでいるかも様々です。

ウツなんて、家族の問題、仕事のやりがい、職務からのストレスなどなど様々な原因から起きます。解決方法も様々でしょう。

とはいえ、エビデンスの必要性

海外では政府がエビデンスのある療法についてガイドラインを示しているって話がありますが、海外では保険適用の基準としてエビデンスが使われるというようなことがあるようです。エビデンスのあるものだけが有効なわけではないですが、公的な資金を使ったり制度で支援するにはどこかに線引きが必要ってことですね。

先に書いたとおり「科学的に証明された」は矛盾した言葉であり、エビデンスは「保険適用するのが妥当であるエビデンス」「薬を発売許可してよいほどの期待値があるとのエビデンス」であって、「科学的に正しい/正解であるエビデンス」ではないわけです。

「エビデンス」によって療法や支援サービスを淘汰する考えには反対です。心理学者は科学を学んでいないので勘違いしていることがあります。

「海外ではエビデンスある手法を…だから日本もエビデンスで…」と言うとき、なんのためのエビデンスなのかといところが本末転倒になっていることがあります。

もう一つは、広範囲に適用可能な手順的な手法について、メカニズムが解明されていない経験則だから、せめて結果統計を出しておこうという真摯な態度によるエビデンスもあります。それはその手法の成長のためであって、本来は「エビデンスがないものはアヤシイ」と主張するためではなさそうです。

多くの人に効果があるということには期待もありますが、一方では誰がやっても同じことが起きる浅いアプローチの可能性も示唆します。

次の記事では、エビデンス検証しにくい手法があるということについて書いてみようと思います。

本来のエビデンス・ベースド・アプローチ

医療業界に「エビデンス・ベースド・メディスン」という言葉があります。医療は生物化学(物理化学の精密機械としての人体を扱う)ので、わりと科学的アプローチや統計的アプローチがなじみます。

ですが、心理となると物理化学ではなく、個人差が誤差ではなく個性なので、医療ほどはなじまないのです。

エビデンス・ベースド・メディスンは、エビデンスを鵜呑みにすることなく参考にし、患者の価値観と臨床状況をもとに判断するアプローチのことです。「エビデンス・バリュー・シチュエーションに基づくアプローチ」という名称にしたほうがよいでしょう。

ですが、これを誤解した人たちがエビデンスのみで善し悪しを判断する「エビデンシャリズム(エビデンス至上主義)」に陥っているようです。

さらに、この エビデンス・ベースド・メディスン も「正しさ」の追求から、「有益さ」の追及へと修正がされています。つまり、エビデンス重視の方々も、科学的かどうかと、幸せになるかは別のことと気づいたわけです。

そして、さらに科学と相性のよい医療分野でさえ、エビデンス・ベースト・メディスンの反省から、よりバリュー(個人の価値観)を重視する、「バリュー・ベースト・プラクティス」ということが言われ始めています。

続き:心理療法とエビデンス(2)「効果」よりも細かなこと

参考リンク

脚注[+]

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