間主観アプローチ

Kojunの心理セラピーの特徴でもある「間主観的アプローチ」について書いてみます。それは、主観的と客観的のどちらでもないものとして説明されます。

主観的一人称I内省・体験・内面
間主観的二人称we = I + you共感・対話・内面
客観的三人称it科学・論理・外面
久保隆司著『ソマティック心理学』の「3つの人称の視点」を参考に作成。

主観(I)アプローチ

クライアントをプロセスの主体として扱います。

例:マインドフルネス

たとえば、マインドフルネス瞑想をセラピストがガイドする場合など。クライアントの個人的な体験が起こります。セラピストは方法をガイドするだけです。

例:ゲシュタルト療法やフォーカシング

いわゆる気づきのワークなどもそうです。

純粋なゲシュタルト療法も、本人が何を感じるかということに焦点を向けます。

ゲシュタルト療法が重視する「いまここ」の1つの意味は、「心理学の本人に書いてあったことではなくて、いまここで何が起きているか」を問うこととも言えるでしょう。ですので、純粋なゲシュタルト療法の実践では「説明しない」などと言われることがあります。本来の意図は「クライアントに説明を求めない」ということでしょう。

「心理学の本に書いてあった知識にもとづいて話す」ということは、自分についての話であっても客観的(it)アプローチです。そうならないように自分について話すことは主観的(I)アプローチであると言えそうです。

客観(it)アプローチ

三人称(it)アプローチはクライアントを「支援の対象」として扱います。

これのよいところは客観的であること。効果検証などの研究がしやすいことです。

また、マニュアル化や標準化がしやすいですし、誰がやっても同じような効果が出やすいですので、実習カリキュラムや保険適用には採用されやすいです。

例:応用行動分析や嫌悪療法や暴露法

刺激と行動の因果関係などを統制してゆきます。快・不快を使った学習や学習消去のことですね。

動物実験にルーツを持つことを考えると、客観(it)アプローチとなるのは自然なことでしょう。

例:薬物療法や精神医学

基本的には飲んだか飲んでないかによって効果が決まります。効果の個人差やケース差はありますが、それが少ないものが優秀とされるでしょう。脳に起きている現象として精神の問題を捉えている精神医学は全体的にこの傾向があります。

例:認知行動療法(狭義)

考え方の癖に気づいて理性的に修正するような方法です。

不快感情に気づくために少し内省はしますが、扱うのは自覚している感情であって「本当の気持ち」を探すわけではありません。第三者が観てもわかるような行動に結びついた感情であることが多いです。

自動思考を自己洞察するところは、一瞬だけ主観(I)アプローチが入っています。ですが、主観を深めるというよりはそれを客観的に眺めるために見つけます。ですので、第三者にも理解できるような言葉で表現することが必要です。

自己洞察が難しい人には主観(I)アプローチであるマインドフルネスを組み合わせることもあるでしょう。

認知行動療法でもクライアントとセラピストとの共同実験という思想(一方的に指示するのでなく一緒に考えましょうみたいなこと)がありますので、間主観(We)アプローチぽさも少し入っています。しかし、実験と言うくらいですから「一緒に客観的に見る」という感じですね。すなわち、「it」として自分を見ているのです。

間主観(we)アプローチ

二人称だから「You」じゃないんかい!と思われるかもしれませんが、I+Youですね。

クライアントとセラピストという二者に起きることに焦点をあてます。関係性とか共感とかです。

主観アプローチと同様に内面的なことが主になります。ペアルックを着るというのは聞いたことがありません。

ですが、クライアントとセラピストが同じ部屋にいるとか、同じことを知っているということは間主観として意味があることがあります。

例:共感的カウンセリング

自分の言っていることが人にわかってもらえるという体験です。

一般的に言われている共感よりももう少し間主観的らしい状態では、セラピストが「よかったね」と言うとき、それはクライアントがよかったと感じることと、セラピストがよかったと思っていることの二重の意味があったりします。

例:オープンダイアローグやリフレクティングプロセス

「対等」という原則が盛り込まれたそれらの実践の中では、「〇〇さんはこうです」ではなく「私は〇〇さん(のその問題)についてこう思う」というように、現象学的還元された他者の会話を聞くという体験が起こります。(そのようにファシリテーターが指示するかどうかはともかく)

他者の考えが客観的にではなく、「他者の主観」として話されるのを聞くわけです。

そのプロセス自体は、自分に関することを他者が他者視点で語っている、あるいは自分のことをきっかけに他者が他者自身のことを語っているだけなのですが、自分と他者が同じものを観ているように感じる瞬間があります。

他者が自分を観るのではなく、他者が他者自身を観ることと自分が自分自身を観ることがシンクロするような体験です。

これもまた間主観的な体験だと思います。

情動のミラーニューロン系は他者の情動を一瞬で理解することを可能にする。(中略)とはいえ、他者の情動の状態を内蔵運動レベルで共有することと、その人に共感することは、まったくく違う次元の話だ。

『ミラーニューロン』ジャコモ・リゾラッテ&コラド・シニガリア

Kojunの心理セラピーの中で

クライアント本人から見えない部分、すなわち隠された無意識については客観的な立場から仮説を提供します。ただ、これは仮説にすぎないと思っています。仮説があることで、なにかやってみることができる。すなわち、作業仮説です。

結局のところご本人の体験が全てと思っているところがありますので、客観的アプローチはあまりしないです。ですが、心の病と呼べるような側面(再現性の強い事柄)については客観的な視点を保っています。

マインドフルネスやゲシュタルト療法は取り入れているので、本人にしかわからないこと、本人のセルフワークを促す場面は多いです。それらは主観アプローチですね。「いまどんな感じがしますか?」とよく尋ねるのがそれです。

これは、セラピストがいなくてもご自身でセルフセラピーができるようになるための練習の提供でもあります。

Kojunのもっとも尖っているのが間主観アプローチかと思います。

そのひとつはエンパス体質です。クライアントが隠している感情を感じ取ったりしますが、いわゆる分析をしているわけではありません。

クライアントの「苦しい」という言葉を聞いて、セラピストも苦しそうな表情をするとかではなく、Kojunは表情が冷静なままにクライアントに代わって鳥肌や涙が出ることもあります。

もうひとつは言葉を介さない共感です。上述のオープンダイアローグの説明がよく似ているのですが、まだ言葉になっていない気持ちについて共有するということを重視しています。

東洋では、白とも黒ともつかないあいまいな分野を残しておく。はっきりと光を当てない。ぼんりとした障子のような光を当てる。

(中略)むしろ、あいまいな部分を含めた人間の全体性を見ていく方が分かりやすい。

黒木賢一『日本の心理療法』共編

「なんと言っていいかわからないけど、なんだかわかる」というような状態です。ですので、「〇〇なんですね」というような言葉ではなく行動で返します。沈黙するとか、なにかを言わないとか、意外な言葉が出ることもあります。

たとえば「別に幸せにならなくてもいいですしね」というような言葉によって、「あー、この人は本当にわかってくれているんだ」とクライアントが感じることもあります。

「私ならこうする」というようなメッセージも、言葉にならないなにかを共有したときの表現としてあり得ます。

言葉によってなにかを共有するのが客観アプローチで、言葉にならないなにかを共有するのが間主観アプローチとも言えるように思います。そして、まだ共有されていないものを大切にするのが主観アプローチですね。

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