一緒にいる人が薬になる、人薬(ひとぐすり)

もう1つのセラピーともいえる、人薬(ひとぐすり)について書きます。

精神リハビリ施設などで、他の患者さんたちと一緒にいることで、 ウツ などが改善に向かうことを「人薬(ひとぐすり)」と言ったりします。

「○○療法が効く」なんて言っているケースの多くも、実はそれを実践している施設やグループにおける人薬の効果だったりするかもしれません。

この人薬という効果は、ウツに限らず、人生の苦難を乗り越えること全般に重要な効果を果たすように思います。

人から癒しを得るということですが、それはいわゆる「受容」というもので、「こんな私でも赦される」みたいなことが回復のベースになるということかもしれません。

※別の観点ですが、対人接触がオキシトシンを促進しているとも言われています。

※Kojunセラピーでやや距離感が近いのも同じ意味があります。

底を蹴るために、どーんと沈むことを赦されてみるという感じでもあります。

それは「ウツは誰にでも起こり得ることだよ」とか「それは生き方を変えるためのサインだね」「それは弱いということではないですよ」などと言ってもらって、ホッとすることでしょうか?

精神リハビリ施設での私の体験からすると、そんなものではありませんでした。それだけでは回復しないことご多いと思います。

世間から批判の目に晒されてきた(晒されているように感じている)人にとって、肯定してもらってホッとするのは、緊急処置として必要なことかと思います。そうして、ちょっと余裕が出来たところで、回復へ向けての行動をとり始めます。

ですが、ウツ状態の人が、そんな風に肯定の声をかけ合うのは人薬ではないと思います。

ウツの場合でいうと、「オレたち経済的損失だよな」「私たちは社会にとってマイナス。あはははは」くらい言い合えるような仲間が出来て、はじめて回復がはじまるように思います。これが私の人薬のイメージです。

ですので、必要なのは、意識高い系の人たちからの励ましではなくて、「底」を体験している人たちとの笑い合える場です。

※当サイトの記事には実践経験に基づく意見や独自の経験的枠組みが含まれます。また、全てのケースに当てはまるものではありません。ご自身の判断と責任においてご活用ください。

※当サイトの事例等は事実に基づいてはいますが複数のケースや情報を参考に一般化して再構成、フィクション化した説明目的の仮想事例です。

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