「あがり症をなんとかしたいです」といきなり相談に来る人もいますが、多くの場合はファイナルファンタジーのセシルのような道をたどる人も多いです。
ここでは、あがり症を例に、そのよくみかける共通バターンについて書いてみます。
恐くなくなることが克服なのではない。
(心理セラピストKojun)
第1幕:優越による克服
たとえば人前で話すことに過緊張があったとします。
たとえば、話し方の教室に通って、上手に話せるようになり、スピーチで拍手喝采を受ける。たとえば、歌を習って、のど自慢大会で賞をとったりする。それで自信がついて、緊張しなくなったというようなケースがよくあります。
ご本人は「あがり症を克服した」と言います。
優越コンプレックスが勝利したとも言えます。
この克服は、優れた能力を身につけることで、恥をかかなくなったとか、責められる不安がなくなったという意味です。
この場合、恥をかくことへの恐怖、責められることへの恐怖を過度に感じるという性質そのものは残っていたりします。
通常の人でも、恥をかくのは嫌です。しかし、その恐怖は怪我をする恐怖にくらべると小さいものです。あがり症、過緊張などの人の場合、それは怪我をするくらい、死の危険を感じるくらい恐いのです。
ですので、「恥をかかない」を目指します。優れた人間になるというアプローチを選び、それが成果を出したとき、ご本人は「克服した」ように感じます。
第2幕:シャドウが現れる
不思議なもので、「優れた人間になることで解決するというアプローチが通用しなくなるときがくるかもしれません」という話をすると、「あ、思い当たります。私、克服しました。大会で優勝して自信をつけたんです」と言います。
同席している人たちは、「えっ?」と驚きます。それが克服の全てではないかもせれないという説明を今聞いたところなのに? と不思議がります。
このように、当人はその説明を聞いても、理解できないということが起こります。もしくは、不機嫌になる、話をそらすなどが無意識の反応として起きる場合もあります。
そのことを気づかないようにする心理メカニズム(抑圧)が起きています。
そのとき、「優れていない自分」や「優れていない自分に似ている他人」を嫌いなったり、変えようとしたりします。その嫌いな人物像がシャドウです。
上述のスピーチの例でいうと、スピーチが下手な人にイライラしたり、スピーチ講師になって生徒に厳しくあたったりします。
ルッキズムサバイバル(美容で世間に受け容れてもらう生き方)を選んだトランスジェンダーが、美容整形しないトランスジェンダーを批判するのもシャドウ現象かもしれません。
この記事を読んで、穏やかでない気分になるのも、それかもしれません。
さて、優越による克服は、「恥をかかなくなることによる解決」であって、「恥をかくことの恐怖の克服」ではない場合があります。
ですので、なによりも恥をかかないことを優先して生きてゆくという人生シナリオとなります。具体的には、2つのことに力がそそがれます。
- 得意でない領域を避ける
- 得意な領域を広げる
歌やスピーチだけでなく、スポーツもある程度できる、頭もよい、といった具合です。
得意な領域を広げるためには、得意でないことにも挑戦する必要があるのですが、そこは上手く調整するわけです。
結果として、2つのことが起こりえます。
可能性1)小さな人生になる
可能性2)ある種の試練に直面する
本当の意味での冒険ができないということです。歌の例でいうと、素人のカラオケ大会では活躍するけれども、上級者の世界への挑戦は二の足を踏むといったように。もしくは、恥をかくつもりでないと進めない領域(9敗1勝によって手に入れる成果)に進むことができないなど。もちろん、そのような人生であっても、それ他人から批判される筋合いはないかもしれません。ご本人がそれでよければ、よいわけです。
第3幕:シャドウと和解、本当の克服
ですが、その先へ進む人もいます。いやおうなしに、試練として直面してしまう場合もあります。その場合は、心理支援者(心理セラピストなど)に相談する可能性があります。
よくあるのは、クレーム、嫌がらせに敏感に反応してしまうという悩みです。独立したり、組織の上に立つようになると、他人からの批判や嫌がらせに晒されます。それは、優れた人間になることで闘うのが難しい問題です。
たとえば、ケーキ屋を営んでいたとして、目立つようになると、「あいつのケーキは不味いのに、偉そうにしている」といった悪口もささやかれるようになります。それに対して嫌な思いをするのは当然ですが、ケーキの味を改良することで、その問題は解決しません。悪口を言う人の目的は嫌がらせなので、味が改良されても悪口をやめない、もしくは別の悪口を言うだけです。むしろ、必死に味を変えたりする反応を見て、嫌がらせはエスカレートします。嫌がらせ好きの人の恰好のターゲットになるのです。
そして、不眠になったり、インターネットが見れなくなったり、新商品を出すときに異常に緊張したりということが起こります。悪口の主を憎むことに多大なエネルギーを注ぎ、悪口の主を満足させます。
ここで必要なのは、上手に負ける能力です。「困っるよなー」「まいったなー」と認めながら、ファンを大切にすることに集中します。しかし、上述の恥をかくことへの恐怖が残っている人の場合、自分が優れていることを証明せずにはいれらず、様々に反応します。味を改良したり、「気にしていない」という言葉を連発したり。
真の克服には、自分が恥をかくことを怖れていることを受け容れ、ちゃんと適度に恐がる(たとえば、店の評判が落ちるのではないかと心配なのを自覚する)ことが必要となります。
しかし、ご本人にとって、それを認めることは困難です。「店の評判が落ちることなんて心配してませんよ。なぜなら、かくかくしかじかで、店の評判が落ちるわけがないからです!」と言ったりします。しかし、そのようにムキになっていること自体が、克服されていない何かが人生を支配してしまう兆候なのです。
そして、あるとき、「これは自分と向き合わねば」と思うときが来たら、心理セラピー(心理療法)は役に立つかもしれません。
どのようなときに、そのときが来るのか? それは、切羽詰まった事態に加えて、「スレッシュホールド」「point of no return」などと呼ばれる越境をしたときに来るようです。後戻りできない何かを進めたときですが、それは全ての可能性を保留することを諦め、安全を諦め、全ての人に好かれる(嫌われない)ことを諦めるというステップです。
長寿番組『笑っていいとも!』に30年間出演したタモリさんは、「毎回、本番前に緊張する」と言っていました。「緊張なんかしませんよ」と言うような人だったら大物にならななかったでしょう。
スーパースターのレディー・ガガは、「自分が負け犬のように思える」と言って楽屋で涙を流します。そして、その映像が公開されることを許しています。
心理セラピーなどで真の克服をすると、緊張や不安への立ち向かうことの意味が全く変わります。