「自己一致」とはなんなのかと尋ねられることがあります。感情を扱う心理セラピストの観点で、分かり易く説明します。
感情の不一致から入門すると分かり易い
「自己不一致」を理解すれば、「自己一致」が分かり易いでしょう。
これが定義というわけではないのですが、意識と無意識が一致していないという例を挙げてみましょう。
自己一致していない例1
「べつに怒ってなんかいませんよっ! プンプン!」
意識:怒ってない
無意識:怒っている
自己一致していない例2
「こ、こ、こ、こわいくなんかありません、ブルブル」
意識:恐くない
無意識:恐い
自己一致していない例3
「あんたのために言ってあげてるんでしょうがっ!」
意識:良心で言っている
無意識:自分が不安で言っている
自己不一致を嫌うことが自己一致ではない
不一致が起きるのは、意識と無意識とは限らず、頭と心とか、言葉と身体とかかもしれません。同じか・・・
この不一致感をつかめたら、「本当はやりたくないのに、笑顔で引き受ける」とか「見栄をはっている」とかにも自己不一致がちょっと含まれている感じがわかるかもしれません。ただ、本音と建て前は両方とも自覚していることも多いでしょう。ちゃんと自覚していれば自己一致かもしれません。無自覚なら自己不一致に含まれるでしょう。
ですが、これらの自己不一致を毛嫌いしたり、上げ足をとるのが自己一致ではありません。
不一致はちょくちょく起きて当たり前。起きる必要があるのです。
ですので、「不一致を許せる人ほど、自己一致しやすい」という不思議も起きてきます。
ですが、これらの自己不一致が解ける瞬間を想像してください。一種独特の心の使い方を感じませんか? それができる力というか、ゆるさというか、無邪気さというか、勇気というか、なんかあるでしょ。
それをして、いつでも自分自身に触れることができる、自分と共にあるのが自己一致です。
自己一致するとどうなるか
で、自己一致しているとどうなるかというと、感情について言えば、自分の感情を自覚するとか、ちゃんと感じて消化するようになります。
これは感情的ということではないです。怒るか怒らないかではなくて、怒っているときに怒っていることを受け入れているかということです。これを感情の所有と言ったりします。
その逆、自己一致していないときの感情は、抑圧されているといったりします。また、防衛機制、代理感情、Kojunが使う言葉では、代理思考、代理行動なんかもそうです。
なので、自己一致していると、不必要に人を攻撃しなくなります。負の感情が必要以上に長引かなくなります。
また、トラウマなどを解消する場合も、自己一致の道を通る必要があります。
「自己一致している人」はいない
自己不一致は人間の性質なので、自己不一致しない人はいません。常に自己一致しているのは、特別な疾患を持つ人くらいでしょう。
ですから、心が成長したときに出来るようになることは、必要に応じて自己一致するってことです。
「あの人は自己一致している人だ」という感じの人もいなくはないですが、そんな人にも自己不一致は起きます。
実際にいるのは「自己一致している人」ではなくて「自己一致できる人」でしょう。
セラピストの自己一致
セラピストやカウンセラーは自己一致を心掛けるようにと言われます。
高学歴のセラピストは、学歴によって自分を肯定しているので、学歴の低い者を見下す傾向がある。なので、低学歴のクライアントがくると、どことなく見下している。見下していない自分はさすがプロだと思っているというのは、すなわち見下しているということなのですが。
低学歴の者を否定していないと言いながら、低学歴の者が自分と同じ仕事をすると否定しちゃったり。
この場合、見下していることが自己不一致ではなくて、見下していることに自分で気づかないということが自己不一致なんですね。
自分は「見下していない」のか、それとも「見下さないようにしている」のかがわかっていないといけないわけです。
対人支援者は「相談者を見下してはいけない」という倫理みたいなものがあるので、「見下していない」と思っていないと自尊心に傷がつくので、これはとても難しいわけです。
なので、自己一致を犠牲にした倫理にしばられているセラピストよりも、汚れをみせているセラピストの方が私は活用しがいがあるように思うことがあります。
で、おもしろいことに・・・・、ある臨床心理の大学教授が、このセラピストの自己一致について説明していて、このような例を挙げました。
「たとえば、低学歴のセラピストが自分の学歴コンプレックスに気づいていないと、高学歴のクライアントがきたときに無意識的に敵対的な感情をいだいてしまったり・・・・」
某 大学教授による自己不一致に関する説明
えーっ、先生そっちかい!? 自分が高学歴なんだから、高学歴のセラピストの例を出してこその自己一致論でしょう。しかし、誰しも自分のことは見えないようです。
クライアントも頑張る
こうなったら、クライアントが自己一致についてよく学び、セラピストを選ぶ能力を身につけるのがよさそうです。とはいえ、セラピストも人間ですのでお手柔らかに。そして、後述するように、セラピストを評価することはクライアントの目的ではありません。
自己一致はセラピスト限定の技ではありません。自らカウンセリングやセラピーを求める人、すなわち悩んでいる自覚のある人は自己一致の素養はあるはずです。
セラピストよりもクライアントが自己一致していると、深い感情に触れることができません。医師やサイコロジストのところで感情のワークが上手くいかなかったと言ってくる相談者の話をきくと、それらしきことがよくあります。専門知識と自己一致は異なるからです。
セラピストは自己一致している方がよいというのは、クライアントの方が自己一致しているとクライアントの足をひっぱるという意味です。
ところが、セラピストに対して評価目線でみていると、クライアントが自己一致できなくなります。
「このセラピストは自己一致しているか」ではなく、「このセラピストは私(クライアント)の自己一致を妨げないか」が問題です。あくまでクライアントは自分のためにセラピーをするのだということを忘れないでください。セラピストの評価に時間をかけている場合ではありません。